日本僑報社 2015年5月19日(火) 13時14分
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思いがけない出会いがその後の人生を左右するという話はよく聞かれるが、長春理工大学の顧思騏さんは、日本人と初めて言葉を交わしたときのことを次のようにつづっている。写真は長春。
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思いがけない出会いがその後の人生を左右するという話はよく聞かれるが、そうしたことは国籍を超えたところにもあるようだ。長春理工大学の顧思騏さんは、日本人と初めて言葉を交わしたときのことを次のようにつづっている。
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僕が初めて日本人と会ったのは大学2年生の頃。夏休みのある日の夕暮れだった。僕は20歳。4分1の人生を過ぎたが、これからの道を恐れ、進めない子どものように考え込んでいた。いつの間にか、僕の周りに4人の家族連れがいた。彼らの話し声を聞くと、日本語だった。正直、ちょっぴり怖かったけれども、日本語にほれていた僕は隣にいる男性に声をかけることに決めた。
「あのう…日本人…ですか?」「はい」。よく見えていなかったけれど、相手は怪訝な顔をしたかもしれない。「あのう…日本語を勉強している中国人なんですが……」僕は続けて言った。「えっ……日本語、お上手だね」「いえいえ、僕はただ1年くらい自分で勉強しただけで、まだまだです。僕はチャンチュンの大学で国際貿易の専攻で……」。
やっと相手と向かい合って話ができて、ほっとした。「私も大学にいたとき国際貿易専攻だったんだよ。君は将来どうするつもりなんだい?商売でも始めないかね?」「私ごときにはそんな偉いことなんてできないと思いますよ」。そう言うと、男性は「やればできる」と僕を見つめて言った。「こんな僕に……」「できる!」。目を逸らさずに彼は言った。彼は続けて言った。「昔、私がドイツに留学していたときはお金も無くて散々苦労したけど、その後会社を作って社長になってからは、やっと余裕ができたんだ」「僕はそこまで……」「お金があれば世界は広げられるんだ。見られるものが違うんだ。だから努力しなさい。いろんなところへ行って、いろんなことを学んで、あきらめないで」。
その後もいろいろ話をしたが、別れのときはみんなそろって手を振って「さようなら」と言ってくれた。一人になった後も彼の言葉が僕の心に響いていた。思い切って声をかけてよかった。夕日の下で涙がこぼれた。なぜ泣けてくるのかはよく分からなかった。
僕はいつも両親や周りの人たちに配慮されて、失敗を恐れて自信が持てなくてびくびく生きてきた。今でもそうかもしれないけれど、ありふれた人生に違いないかもしれないけれど、いろいろ挑戦したいとはさすがに思えないだろうけれど、そんな選択肢もあるのかもしれないと思えるようになった。今に至るまで、僕は多くの経験をしながら成長してきた。その成長した分にはきっと彼が話してくれた言葉があると思う。失敗するたびに、何かにつまずくたびに、僕は彼の言葉を思い出した。「つらくてもあきらめちゃいけない」と、いつも心に響くのだった。(編集/北田)
※本文は、第九回中国人の日本語作文コンクール受賞作品集「中国人の心を動かした『日本力』日本人も知らない感動エピソード」(段躍中編、日本僑報社、2013年)より、顧思騏さん(長春理工大学)の作品「夕暮れの出会い」を編集したものです。文中の表現は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報社の許可を得て掲載しています。
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