車だけじゃない!フォルクスワーゲンはソーセージ、トヨタは布―中国紙

Record China    2015年6月3日(水) 15時25分

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26日、「フォルクスワーゲンがソーセージを売り、トヨタが布を織り、クライスラーが戦車を作っている」と聞いたら、冗談だと思うに違いない。

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2015年5月26日、「フォルクスワーゲン(VW)がソーセージを売り、トヨタが布を織り、クライスラーが戦車を作っている」と聞いたら、冗談だと思うに違いない。でも実際には自動車でよく知られたブランドの多くが、車とは全然関係のない分野で相当の業績を上げている。京華時報が伝えた。

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ホンダ、航空機製造に苦節30年

ホンダブランドの自動車やバイクはかねてより中国でもよく知られているが、ホンダが航空機の製造に強い意欲をもつことを知る人は少ない。計画は30年前にスタートし、昨年になって小型ビジネス機「ホンダジェット」の量産化第1号機がついにお目見えして、市場での引き渡し準備が始まった。

ホンダの創始者・本田宗一郎氏は1962年に航空分野に進出することを明らかにし、1986年になってやっとプライベート機の研究開発のスタートにこぎ着けた。2006年にはホンダの全額出資子会社ホンダ・エアクラフト・カンパニーが米国で設立され、同年にウィスコンシン州オシュコシュで開催された世界最大規模の航空機博覧会のEAAエア・ベンチャー・オシュコシュ2006で独自開発のホンダジェットがお披露目されるとともに、その量産計画が発表された。ホンダの伊東孝紳前社長はかつて、「(航空機は)本田宗一郎が持ち続けた夢であり、それを受け継いできたホンダマンの夢でもある」と述べている。

ホンダの航空機はホンダジェットと名付けられ、昨年6月にテスト飛行に成功した小型ジェット機だ。エアクラフトの社の藤野道格社長兼最高経営責任者(CEO)は取材に答える中で、「航空機の設計のイメージはハワイでの休暇中に免税店で見たフェラガモのハイヒールだ。フェラガモの靴は美しさ、快適さ、機能性を兼ね備えたものの代表だ」と振り返った。

▼VW、自動車より売れているソーセージ

VWが生産するのは自動車だけだと思うなら、それはこの超大型多国籍企業グループを見くびっていることになる。VWはソーセージも作っている。このソーセージには長い歴史があるだけでなく、口当たりや品質も絶品で、非常に人気がある。毎年の生産量はVWブランド自動車の約3倍になるという。

ドイツ・ヴォルフスブルクにあるVWの本社には、「VW肉製品加工工場」という不思議な部門があり、ここで生産されたカレー風味ソーセージは海外でもその名をよく知られている。この工場はもともと「やむを得ず」建設されたものだった。VWが1938年に創業した当時、ヴォルフスブルクは人口数百人の小さな村だったが、VWの従業員は数千人以上。外部からの供給では間に合わず、VWは従業員の衣食住問題を自力で解決するしかなかった。そこで肉製品加工工場が造られたほか、牛を飼い、野菜も作り始めた。その後、ヴォルフスブルクが発展し、工場の規模も拡大して、VWは牛の飼育や野菜の栽培はやめたが、肉製品加工工場は存続された。

この工場で作られたカレー風味のソーセージは「カリーヴルスト」という名前で、従業員の間で人気が高い。現在では社内の食堂や売店に卸されているだけでなく、外部にも販売されている。特に協賛するサッカークラブ・VfLヴォルフスブルク・フースバルの試合がある時には、飛ぶような売れ行きだ。パッケージには「フォルクスワーゲンのオリジナル工場で生産」と書いてあり、ドイツの多くのスーパーで買うことができる。ただ残念なことに中国ではまだ発売されていない。

▼トヨタ、出発は繊維産業

トヨタ自動車が2002年に「ヴィオス」を初の国産自動車として売り出す前に、トヨタ紡織株式会社が1995年に中国市場に進出していたことはあまり知られていない。同社は後の国産自動車製造に向けて関連の大規模な計画を進めていた。

トヨタは日本の自動車産業のトップになる前は大手織機メーカーだった。トヨタ自動車の創始者・豊田喜一郎氏の父・豊田佐吉氏は、1924年に日本初の自動織機「無停止杼換式豊田自動織機」(G型織機)を開発し、2年後に設立された株式会社豊田自動織機が製造を担当した。

トヨタ紡織の操縦士である豊田喜一郎氏は現状に満足できなかった。東京帝国大学工学部で機械を専攻した同氏は、当時勃興しつつあった欧米の自動車産業に多大な興味を感じていた。トヨタ自動車を創業するための資金には、豊田紡織の特許を転売した時の収益が充てられた。これと同時に、トヨタの繊維工業の発展によってもたらされた「すべての工程で高い質を確保する」、「欠陥品を次の工程に紛れ込ませない」といった生産管理の理念は、その後のトヨタの自動車工業にしっかりと受け継がれた。

自動車工業の発展にともない、豊田紡織は自動車工業と歩調を合わせて発展する自動車部品会社に生まれ変わった。中国ではトヨタ自動車にサービスを提供するだけでなく、セネラルモーターズ(GM)、BMW、中国独自ブランドなどに部品を提供している。

▼三菱、様々な産業を手がける大企業グループ

採鉱、造船、銀行、保険、倉庫・貿易の各産業に従事し、紙、鉄鋼、ガラス、電気設備、航空機、石油、不動産も手がかける大企業グループであると同時に、自社ブランドの自動車を擁するが、自動車事業の占める割合はそれほど大きくない。三菱はこのような大企業グループだ。

三菱が初めに手がけた事業は自動車ではない。三菱の前身は明治維新の時代までさかのぼることができ、初めは船舶や艦艇の製造を行っていた。岩崎弥太郎が1870年に明治政府からの長崎造船所の払い下げを受け、1973年に三菱造船所と改称し、これが三菱財閥のスタートとなった。その後、三菱は上記のさまざまな産業を手がけるようになり、第2次世界大戦後は連合国軍最高司令官の命令によって解体の危機に瀕したが、三菱グループに姿を変えて生き延びることができた。

今では三菱グループは多くの関連企業と支社を擁する一大グループだ。創業の基礎は岩崎弥太郎が開設した九十九商会で、造船事業を手がけると同時に、1917年には小型バスの量産化に成功。その他の事業への着手の時期をみると、1917年に三菱製紙、1918年に三菱商事、三菱マテリアル、1919年に三菱銀行を設立し、1920年には三菱造船所が三菱内燃機製造や三菱電機などの子会社に分かれた。第2次大戦中は空前の発展を遂げ、旧日本軍のために各種の爆弾、大砲、航空母艦、大型戦闘艦を製造した。(提供/人民網日本語版・翻訳/KS・編集/武藤)

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