日本植民地時代、朝鮮半島で書かれた日本語の詩は日本文学なのか?=韓国ネットユーザーの意見は?

Record China    2015年8月25日(火) 22時5分

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25日、韓国メディアによると、1940年代の朝鮮半島にあった文学雑誌「国民文学」に掲載された詩を集めた本「僕は磨く 大和に通じる床を 国民文学収録詩1巻」が出版された。これについて、韓国のネットユーザーはさまざまなコメントを寄せている。資料写真。

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2015年8月25日、韓国・聯合ニュースによると、1940年代の朝鮮半島にあった文学雑誌「国民文学」に掲載された詩を集めた本「僕は磨く 大和に通じる床を 国民文学収録詩1巻」が出版された。

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韓国外国語大学「HKセミオシス研究所」所属のキム・ウンジョン教授をはじめとする日韓の文学者7人はこのほど、1941年11月から1943年9月までの「国民文学」に掲載された日本語の詩を韓国語に翻訳し、収録した本「僕は磨く 大和に通じる床を 国民文学収録詩1巻」を出版した。編訳者らは「国民文学」について、「1940年代の文学はすべて日本語で書かれた。朝鮮人作家と日本人作家の作品が共存する珍しい空間だった」と評価した。

また、「植民地の朝鮮で、日本語で発表された文学は『日本文学』なのだろうか?」との質問に対し、編訳者らは「肝心なのはその質問に対する答えではなく、答えにたどり着くまでの過程や、朝鮮人でも日本人でも、1940年という歴史的条件の下で考え感じた内密の過程だろう」とし、「それを確認するため『国民文学』の作品を読み始め、自然な流れで翻訳することになった」と説明した。また、「どんな些細なものも韓国文学から排除されてはいけない。その中でも『国民文学』は1940年代に残された唯一の文学雑誌であるため、さらなる研究が必要だ」と強調した。

これについて、韓国のネットユーザーはさまざまなコメントを寄せている。

「日本語で書かれた文学は日本文学でしょ。韓国の文学にはなれない。これ以上おかしな論理を展開するな。親日派をなぜ親日派と呼ぶのか?彼らが日本語を使い、日本を擁護していたからだ。日本を称賛し、日本のために生きた人は親日派、売国奴だという事実は変わらないのに、なぜ韓国語に翻訳された日本語の文学が韓国文学に変わる?」

「日本語で書かれた詩を韓国文化だと主張するなんて…。恥ずかしいと思わないの?」

「日本語で書こうと思ったら、日本式の考え方をしなければならない。日本語独特の言い回しや表現など。韓国文学になれるわけがない」

「日本植民地時代に書かれた文章は歴史から消し去ってもいい」

「結局、親日派として処罰されるべき人間たち。反民族主義者の作品を文学と呼ぶことはできない」

「彼らを批判するな。彼らは日本人になりたかったんだ。日本による植民地時代が終わるなんて夢にも思っていなかったはず」

「良い観点の書籍だ。売れないだろうけど…」

「親日派がいなければ、韓国はまだ朝鮮時代のような生活をしていたかも」

「どちらの国の文学でもいい。大事なのは内容!」(翻訳・編集/堂本

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