日本僑報社 2015年9月10日(木) 12時23分
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中国人のマナーの悪さは同じ中国人からも指摘が上がるほどだが、その場では注意できず見て見ぬふりをする人が多い。南京農業大学の汪さんは、日本人の教師とのやり取りから、そうした現状を変えるべきだと実感したようだ。
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中国人のマナーの悪さは同じ中国人からも指摘が上がるほどだが、その場では注意できず見て見ぬふりをする人が多い。南京農業大学の汪[女亭](ワン・ティン)さんは、日本人の教師とのやり取りから、そうした現状を変えるべきだと実感したようだ。
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ある日、日本人の先生とレストランに行きました。店内で子どもたちが追いかけっこやゲームをしていました。ずっと大声で騒ぎ続けるので、先生の声を聞き取ることもできません。親たちは楽しそうに食事を続けています。先生はその場で親子の無作法を話題にしました。私はとっさに「あの子たちは、まだ子どもですから」と言いました。先生は「親は大人ですね」と静かにおっしゃいました。「子どもはのびのびしている方がいいです。食事は楽しく食べる方がいいです」「ここは、彼らの自宅ではありませんよね」「子どもに厳しくする必要はないです。大人になれば自然にわかります」「三つ子の魂百まで」。
またある時、先生に有名な料理店に連れて行っていただきました。雰囲気もある高級店です。人気があるお店ですから、店内は人でいっぱいです。追加で注文しましたが、十分たっても料理を持ってきません。ウエイトレスに繰り返し頼んでも、まるで聞こえないように別のテーブルを拭きに行きます。他のウエイトレスも無視します。何とか呼び止めると、にらみつけて大声で煩わしそうに対応します。先生は「なぜ、お客が怒られなければならないの」とおっしゃいました。私もそう思います。そう思いながらも「彼女たちは、朝から何度も同じオーダーを聞いて、疲れているかもしれません」と説明しました。「忙しければ、お客様を怒鳴りつけてもいいのでしょうか」と尋ねる先生に、「私たちはもう慣れました。これは普通のことです」と答えた時、私の声はとても小さくなっていました。
マナーについて、先生との温度差を何回も感じ、どこかおかしいと思うようになりました。なぜなら、いつも心の奥底では先生の言葉が正しいと思うからです。「子どもだから」「忙しいから」「あまり気にしないで」。私は先生をなだめているつもりでしたが、実際は自分を慰めていたのです。
問題から目を逸らせば、その場は平安に過ごすことが出来ます。大声で話す人がいれば静かな場所に移動し、歩きたばこに遭遇すれば煙が流れてこない方向を探します。注意すればもっとひどい目にあうかもしれません。目の前の快適さを手に入れるために見て見ぬふりを続けてきました。このようなことを繰り返し、次第に自分の本当の気持ちに鈍感になっていたのです。自分は迷惑行為をしていなくても、それを容認することで社会に氾濫させる片棒を担いでいたのです。外国人の先生の感覚に触れ、自分のいびつさに気が付きました。言い訳を並べて中国人としてのプライドを保つことなど無意味です。
このままでは、私の子どもや孫も他人への配慮がない社会を当然のように受け入れ、この悪循環を担い続けてしまいます。まず、私が変わらなければなりません。私たちがもっと幸福になる為に声を上げるべきなのです。(編集/北田)
※本文は、第十回中国人の日本語作文コンクール受賞作品集「『御宅』と呼ばれても」(段躍中編、日本僑報社、2014年)より、汪[女亭]さん(南京農業大学)の作品「心遣いを回収したい」を編集したものです。文中の表現は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報社の許可を得て掲載しています。
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日本僑報社
2015/8/8
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