「中国、嫌い」と言われれば「日本、嫌い」と答える、こだまでしょうか―中国人学生

日本僑報社    2015年12月17日(木) 2時40分

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日中両国は近年、「近くて遠い」存在であり続けている。両国が信頼関係を築くにはどうすればいいのか。浙江外国語学院の高雅[女亭]さんは、金子みすずさんの詩を例に挙げ、人間と人間の交流が大事であると主張している。

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日中両国は近年、「近くて遠い」存在であり続けている。両国が信頼関係を築くにはどうすればいいのか。浙江外国語学院の高雅[女亭]さんは、金子みすずさんの詩を例に挙げ、人間と人間の交流が大事であると主張している。

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日中は数千年に及ぶ友好の歴史がありながら、近代に入り困難な時代を迎えた。日中国交正常化40周年を経て、なお暗い影を落としている。お互いに過去の苦い歴史を繰り返さないように、信頼関係を築かなければならない。そのためにはどうしたらいいのだろうか。

最近、私は友人の紹介で日本からの留学生、Nくんと話しをする機会があった。東京の出身で中国経済に興味を持っているので杭州に留学してきたそうだ。なぜ中国に留学したのか聞いてみた。

「中国が好きだから。世界には何百と国があるけど、中国が一番さ」それを聞いて、私はうきうきしてきた。その時、ふと、先生に教えていただいた詩を思い出した。金子みすずの「こだまでしょうか」という詩だ。

「遊ぼう」っていうと「遊ぼう」っていう。「ばか」っていうと「ばか」っていう。「もう遊ばない」っていうと「遊ばない」っていう。そうして、あとでさみしくなって、「ごめんね」っていうと「ごめんね」っていう。こだまでしょうか、いいえ、誰でも。

私は、友好を決定付けるのは「言葉」でないかと考えた。「中国、嫌い」と言われれば、きっと「日本、嫌い」と答えるだろうなと。中国にもよくないところがたくさんあるけど、Nくんのように、一生懸命中国のことを理解しようとしている同世代の若者を見ると、私も負けてはいられないと頑張る。

「私だって、こんなに日本が好き!」。マスコミやインターネットの情報も一つの「現実」。それを「現実」と受け止めて、個人として私にできることを模索しなければと思う。私の提言は、国レベルではなくて、民間の「face to face」の交流、個人と個人の交流、人間と人間の交流である。現在、杭州市にもいくつかの日中交流団体や日本語コーナーがある。私は何度かそこに参加したことがある。そこには、日本語を勉強している中国人の学生や社会人、中国語を勉強している日本人の留学生や社会人、中国語しか話せない人や、日本語しか話せない人も参加している。

そこで、こんなゲームをやった。「皆さん、日本人の方は、中国人のいいところについて、話してください」「はい。とても明るくて、元気がある。小さいことにこだわらず、寛大。人なつっこくて、思い遣りがある。学生たちはとても勉強熱心で努力家。お年寄りを大切にする…」

私は、なんだか自分のことを褒められているようでうれしくなった。次は中国人が日本人を褒める番。「日本人は仕事熱心で手を抜かず、完璧にこなす。ルールやマナーを守り、街はごみ一つ落ちていない。謙虚で穏やかで、紳士的…」。私も精一杯褒める言葉を探した。

そこには、国の隔てがないように感じた。お互いのいいところを探して褒める。中国人同士だって同じ。友人同士、お互いに欠点を探し合っていたら、永久に親しくはなれない。まして、国が違えば、お互いの顔が見えないから、一つの情報がすべてだと思い込むことだってある。だから、いつも一人ひとりの人間同士という見方で考えるといいと思う。(編集/北田

※本文は、第八回中国人の日本語作文コンクール受賞作品集「中国人がいつも大声で喋るのはなんでなのか?」(段躍中編、日本僑報社、2012年)より、高雅[女亭]さん(浙江外国語学院)の作品「中日両国民が親近感を高めるための、私ならではの提言」を編集したものです。文中の表現は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報社の許可を得て掲載しています。

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