最新科学で100年の謎を解明!清朝11代皇帝光緒帝の死因はヒ素による毒殺か?―香港誌

Record China    2007年12月5日(水) 11時45分

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12月4日、清朝第11代皇帝光緒帝の死因はヒ素による中毒死であることが濃厚に。今後の化学分析によりヒ素中毒が死因と断定されれば、西太后による毒殺説を裏付けることになる。写真は光緒帝が軟禁されていた頤和園。

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2007年12月4日、清朝(1636年〜1912年)第11代光緒帝(1875年〜1908年)の謎に満ちた最期に関する興味深い記事が、香港の総合雑誌「紫荊」に掲載された。中国のニュースサイト「中国新聞網」が伝えた。

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「病死か?」「毒殺か?」、光緒帝の死にまつわる謎は100年後の今日、最新の科学技術によって解明されようとしている。1938年に埋蔵品のすべてを盗掘者に奪われてしまった光緒帝の墓陵「崇陵」。80年代に国家文物部門が再調査した際に、光緒帝の遺骨と遺髪を発見した。今回これらを化学分析したところ、遺髪の一部に通常の1000倍から2000倍のヒ素が確認された。毛髪全体にではなく一部分にだけヒ素が存在していたことから、急激な摂取による中毒死の疑いが濃厚になった。今後は胃の付近の微細骨を検査し、再度ヒ素が確認されれば中毒死と断定されることになる。

歴史に名を残した西太后(1835年〜1908年)に疎まれ幽閉された光緒帝。彼が崩御した翌日に、西太后自身も崩御。「崇陵伝信録」や「清稗類チャオ」には、臨終の床についた西太后が自分の死後に光緒帝が権力を握ることを恐れたため、人を使って彼を殺したとの記述がある。また「後功口述歴史」のなかに、光緒帝は死の直前に西太后から賜ったヨーグルトを食べたとの礼部尚書(長官)の証言が残っている。「清実録」の中には、生前の光緒帝の健康状態について「慢性病があったが、死の直前まで元気だった」と記されている。(翻訳・編集/本郷智子)

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