人民網日本語版 2017年4月30日(日) 5時10分
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日本のある宗教についての調査では、「来世」について、日本人の29.5%が「信じる」、40%が「信じたい」と答え、信じると答えた人は若者のほうが多かった。資料写真。
日本のある宗教についての調査では、「来世」について、日本人の29.5%が「信じる」、40%が「信じたい」と答え、信じると答えた人は若者のほうが多かった。その他、54%が「魂を信じる」と答え、「生きている人は、何らかの形で亡くなった人の世界とつながっている」ことを信じている人も全体の64.9%を占めた。第81回アカデミー賞外国語映画賞を受賞した「おくりびと」は、このような日本の文化を背景に制作され、公開と同時に社会の話題をさらい、当時最も人気の映画となった。(文:万景路。中文導報掲載)
「おくりびと」では、プロのチェロ奏者だった主人公の小林大悟がある日突然失業し、旅行代理店の求人だと思い込んで受けた面接に合格した結果、「おくりびと」になる。最初のうちは心理的に抵抗があったものの少しずつその仕事に慣れていく。しかし、家族に反対されるなどの挫折を味わい、頭を悩ます。最終的には、数多くの納棺をこなし、この仕事が神聖なものであることを悟り、一人前の納棺師となる。「おくりびと」は、「『死』というのは、遠い新しい場所に通じる扉にすぎない」という信念を伝えている。
これらを考えると、日本人は「生死」に直面しても、落着きと冷静さを保っており、ポジティブでユーモアある感情さえ現れることがわかる。このような特徴を聞くと、日本人にとっての「生死」とはなんなのか知りたくなってくる。
日本には「死生観」という言葉があり、死を通した生の見方を強調する日本人独特の宗教観を示している。親戚や家族が亡くなっても、日本人は声を張り上げて泣き叫ぶことはほとんどなく、涙を流す姿さえあまり見ない。葬式に参列している人は、現実を受け入れるほかないという表情で、動じず、落ち着いていることが多い。
その理由を分析してみると、まず、日本は資源が乏しく、災害が多いという自然環境であるため、昔から日本人は人生とは、はかないものであることを悟り、死ぬと清らかで、万物を超越した存在になるという意識が少しずつ形成されてきたことが考えられる。また、いい人も悪い人も、死ねば潔白で、みんな「仏」になれるという意識が形成されてきた。日本人が「死んだらみんな仏様」と考えているのはこれが原因ではないだろうか。
次に、小説家の村上春樹は「ノルウェイの森」で「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」ことを何度も強調している。これは、日本の仏教の「人の死は、一つの扉から来世の扉へ足を踏み入れるだけのこと」という観念とマッチしている。そして、このような考えは、日本の古今の文学作品の中でたびたび登場する幽玄(ゆうげん)やもののあはれという理念、叙述手法ともマッチしている。文学作品の生死に関する描述も日本人の死生観にある程度影響を与えていると言えそうだ。
三つ目に、古代の日本の武士は、「夏の花の如く艶やかに生き、秋の枯葉の如く穏かに終りを迎えよ」という武士道精神を貫いた。つまり、「命を惜しむことは恥」と考えられていたのだ。その他、日本の武士道の精神は桜の花と相通じる部分がある。日本には、桜は咲いてから散るまでが七日間に過ぎないという意味の「花七日」という言葉がある。咲きながら散っていく桜の花は、はかない命のようで、美しく生き、清く死ぬという武士道の精神とマッチしている。これも、日本人の死生観にある程度影響を与えているのではないだろうか。このように、自然、仏教、文学、武士道などの特徴が相互に作用して、冷静に死を受け止める日本人独特の「死生観」が形成された。
日本の墓地が住宅街付近にあり、ひいては仏壇を置いて死者と家で共存しようとする現実を見ると、日本人の意識の中で、生と死の距離がいかに近いかが一目で分かる。死は命の一部で、尊厳を持って生き、尊厳を持って死に、死んでからも新たな旅に出るというのが、ほとんどが霊魂不滅を信じている日本人の一般的な考え方だといえる。(提供/人民網日本語版・編集KN)
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