<コラム>韓国・ソウルの観光名所はかつて日本の神社だった

工藤 和直    2017年10月5日(木) 21時10分

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朝鮮神宮は、朝鮮京畿道京城府(現・大韓民国ソウル特別市)南山にあった神社である。写真は筆者提供。

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朝鮮神宮は、朝鮮京畿道京城府(現・大韓民国ソウル特別市)南山(ナムサン)にあった神社である。社格は官幣大社で、朝鮮全土(60カ所)の総鎮守とされた。1919(大正8)年7月18日、天照大神と明治天皇を祭神とする「朝鮮神社」を創立し、官幣大社に列する旨が発せられた。1920(大正9)年、南山の頂に御用地20万坪、境内7000坪、総工費150万円で殿舎造営に着手、6年で竣成した。1925(大正14)年6月27日、「朝鮮神社」を「朝鮮神宮」と改称、同年9月14日には鎮座祭の期日(同年10月15日)と例祭日(毎年10月17日)が定められた。また本社の宮司は勅任待遇であった。

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日中戦争が始まった1937(昭和12)年以降になると、韓国人民にも神社参拝が奨励され、これに反対した約2000人の牧師・教徒が検挙、投獄された(神社参拝拒否運動)。この運動で200余りの教会が閉鎖され、50人余りが獄死するという結末をたどった。このように朝鮮神宮は日韓の歴史の中に大きな負の遺産を持つ。日本の第二次世界大戦敗戦に伴い、1945(昭和20)年11月17日に廃止され、跡地には南山公園が造られた。公園の中には安重根(アン・ジュングン)義士記念館、Nソウルタワーなどがあり、ここに日本の神社があったとは想像もつかない。安重根義士記念館周辺にまさに「朝鮮神宮」の社務所や本殿があったのだ。

ソウルの南大門から南山公園に向かう素月路(ソウォルロ)は旧朝鮮神宮表参道(西参道)であった(写真1)。朝鮮神宮(写真2)の石段が素月路から大鳥居を通って真っすぐに南山頂上に達した。現在も石段は南山の西側にある(写真3)。当時、市内電車が南山西側の南大門近くを走る時、乗客は必ず車内から朝鮮神宮を拝礼するしきたりだった。

参道があったことを示す当時の石の玉垣が現存している(写真4)。韓国では解放後、神社は徹底的に破壊されたのでその遺構はほとんど残っていない。ただ、南山周辺は多くの日本人が住み、朝鮮神宮や京城神社などを建て、その遺構が何カ所か残っている。素月路の一部に石の手すり(参道両側にある石柱に直角に載せた石壁に類する玉垣)もその一つである。朝鮮神宮は1925年に完工、同時期に整備されたものとしたら、90年くらいたっている手すりである。南山洞周辺には、古い日本家屋や石灯籠のようなものが庭にある家屋なども見ることができる。

■筆者プロフィール:工藤和直

1953年、宮崎市生まれ。韓国で電子技術を教えていたことが認められ、2001年2月、韓国電子産業振興会より電子産業大賞受賞。2004年1月より中国江蘇省蘇州市で蘇州住電装有限公司董事総経理として新会社を立上げ、2008年からは住友電装株式会社執行役員兼務。蘇州日商倶楽部(商工会)会長として、日中友好にも貢献してきた。

■筆者プロフィール:工藤 和直

1953年、宮崎市生まれ。1977年九州大学大学院工学研究科修了。韓国で電子技術を教えていたことが認められ、2001年2月、韓国電子産業振興会より電子産業大賞受賞。2004年1月より中国江蘇省蘇州市で蘇州住電装有限公司董事総経理として新会社を立上げ、2008年からは住友電装株式会社執行役員兼務。2013年には蘇州日商倶楽部(商工会)会長として、蘇州市ある日系2500社、約1万人の邦人と共に、日中友好にも貢献してきた。2015年からは最高顧問として中国関係会社を指導する傍ら、現在も中国関係会社で駐在13年半の経験を生かして活躍中。中国や日本で「チャイナリスク下でのビジネスの進め方」など多方面で講演会を行い、「蘇州たより」「蘇州たより2」などの著作がある。

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