<コラム>日本の竹取物語は中国の神話を参考にした?多くの意外な共通点

瑠璃色ゆうり    2017年11月18日(土) 17時50分

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前回『嫦娥奔月(じょうがほんげつ)』のコラムをまとめていたときのこと。ふと「竹取物語と共通点多いな」と思いました。嫦娥とかぐや姫、月と関わりのある二人の美女の物語。この二つには何か繋がりがあるのでしょうか。資料写真。

前回『嫦娥奔月(じょうがほんげつ)』のコラムをまとめていたときのこと。ふと「竹取物語と共通点多いな」と思いました。嫦娥とかぐや姫、月と関わりのある二人の美女の物語。この二つには何か繋がりがあるのでしょうか。

『嫦娥奔月』の物語は前回のコラムを参照していただくとして、まずは改めて『竹取物語』とはどんなお話か見てみましょう。

野山で竹を取って色々な物を作っていたので「竹取の翁」と呼ばれていた讃岐造麿(さるきのみやつこ※読み方には諸説あります)が、ある日のこと光る竹を見つけます。その竹を見ると、中に3寸(9センチ)ほどの大きさをした綺麗な人がおり、翁は連れて帰って自分の子どもとして育てます。それからというもの、翁は竹林で金の入った竹を見つけるようになり、彼はたちまち裕福になりしました。

翁が連れて帰った小さな人は、わずか3カ月で成人の儀を行えるほど(12、3歳ぐらい?)に大きくなります。その後、さらに大きくなったので「三室戸齋部秋田(みむろどいんべのあきた)」という人に「なよ竹のかぐや姫」という名前を付けてもらい、人を招いて3日にわたってお披露目をします。

その美しさが評判になったかぐや姫には求婚者が相次ぎますが、彼女は全く相手にしません。多くの人があきらめる中で、5人の貴公子が求婚者として残りました。翁はかぐや姫に「自分はもう“70歳”で老い先短いから、早く結婚して安心させてくれ」と頼みますが、かぐや姫は「“こころざし”のない結婚はできない」とためらいます。

そこでかぐや姫は5人の貴公子に「仏の御石(みいし)の鉢」など、それぞれに「ゆかしき物(世にも珍しい宝物)」を手に入れるように命じます。そして彼女は「ゆかしき物」を手に入れた者=“こころざし”を見せた者と結婚すると言いました。

しかし、このチャレンジは全て失敗に終わります。中でも「燕(つばくらめ)のもたる子安貝」を持ってくるように命じられた石上中納言(いそかみのちゅうなごん)は、高いところにあったツバメの巣から子安貝を捕るのに失敗して腰の骨を折り、それが元で亡くなってしまいます。

次に、噂を聞きつけた帝(みかど)がかぐや姫を求めますが、姫は人外のパワーを発揮してこれを拒否します。そして帝とは「文通」という清いお付き合いをする仲に。その文通が3年ほど続いたあと、かぐや姫の様子がおかしくなります。

月を見て悲しむ状態が数カ月続いたあと、8月のある日、かぐや姫は翁に言いました。彼女はもともと月の都の人間で、昔の因縁によりこの地に来たこと、そして今月の15日(満月)の夜に月に帰らなければならないということを。かぐや姫が月へ戻るという話が帝にも伝わると、彼は翁の家に使者を使わします。翁と会った使者は、翁が嘆き悲しむあまりに“50歳”の見た目以上に老け込んでしまったことに驚きました。

そして8月15日の夜、帝が派遣した軍が翁の屋敷を守る中で、月からの迎え―天人(あまびと)たちがやってきます。天人たちは翁の家の守りをやすやすと突破すると、彼らの中にいた“王”が翁を呼びつけます。

王は翁に、かぐや姫は罪を犯してこの地に流されたこと、少しの間翁のもとにいたが期限が来たから帰らねばならないこと、金の入った竹は彼らが下賜したもので、そのおかげで翁は裕福になったことなどを告げます。

翁は20年もの間かぐや姫を養ってきたので「少しの間」なら別人だとか、「我が家のかぐや姫」は体調を崩しているので出てくることはできないなどと訴えましたが、結局、姫は月へ帰ることになりました。

帰り際、かぐや姫は天人から天の羽衣と壺に入った不死の薬を受け取ります。かぐや姫は地上の物を食べていたせいで体に穢れ(けがれ)がたまっており、不死の薬を服用しないと月へ戻れないからです。しかしかぐや姫は薬をちょっとだけ舐めると、残りは形見として帝に渡そうと考えます。さらに羽衣を着て記憶がなくなる前にと、帝への手紙を書きはじめます。

迎えの天人が「遅い」とイライラしている中、姫は手紙を書き上げます。それから舐めかけの薬と手紙を帝に渡すよう頭中将(とうのちゅうじょう)に託すと、月へ戻っていきました。かぐや姫から手紙と薬を受け取った帝は、調岩笠(つきのいわかさ)に一番天に近い山(富士山)でそれを燃やすように命じます。

ごめんなさい、ざっくりまとめたもののかなり長いです…。しかし、高校のころ、初めて原文を読んだときからかぐや姫はアレな人だとは思っていたけど、まさかここまでとは…。

初めて読んだときは、「意に添わない結婚なんてしたくないから、無理難題ふっかけても仕方ないよね」と思ってたんですが、実は「“こころざし(宝物)”を持ってきた人となら結婚してあげても良くてよ」だったんですね。

まあ、自分だって「結婚生活、お金と愛情どっちが必要?」と聞かれたら「お金」と即答する程度に穢れた大人なので、ここについてまあ、良しとしましょう。5人の貴公子と帝とで態度違うのだって解らないでもありません。

ただ、「罪を犯して島流し(というか星流し?)の刑」を受けていた事実を、最後の最後まで自分の口から言わなかったっていうのは…だって最初に言ってれば、石上中納言は死なずに済んだのかもしれないのに。

でもって、いくら貴重な不死の薬とはいえ、舐めかけをあげるって何?しかも相手は国家の最高権力者だというのに…。おまけにいざ出発というその時に手紙書くって、夏休みの最終日に宿題やってるレベルどころか、教室で宿題集めているその時に、ちょっと待ってと言いながらやってるのと同じ状態ですよ、これ。―などと突っ込みどころ満載のかぐや姫。さすが月から地上へ流されるだけの逸材です。

さらに翁にも「え?こんな人だったんだ」でした。だって、自分は70歳で老い先短いからってかぐや姫に結婚しろって迫ったけど、本当は50歳だったし、天人の王に向かってかぐや姫を20年養ってきたなんてうそぶくし…。竹の中にいた「小さな人」を迷わず連れ帰るだけあって、翁もやはりただ者ではなかったようです(おとぎ話的なイメージで、竹の中に赤ん坊がいたと思っていたのですが、改めて読むと原文には“赤ん坊”とは書いておらず、ただ“三寸ばかりなる人いと美しうて居たり”とあるだけだったので、読んでいてついついアタカマ・ヒューマノイド的な何かを連想してしまいました)。

とまあ、あまり竹取物語に尺をとっても仕方ないので、「嫦娥奔月」と「竹取物語」の比較してみましょう。

◆ヒロイン

嫦娥奔月……西王母の不老不死薬を盗んで月まで逃亡

竹取物語……犯した罪によって月から地上へ流刑(何をやったかは不明)

◆相手

嫦娥奔月……西王母から手に入れた不老不死の薬を嫦娥に奪われる

竹取物語……かぐや姫から(舐めかけの)不死の薬を貰うも、富士山頂で燃やす

◆不死の薬

嫦娥奔月……盗んだ不老不死の薬を月で服用

竹取物語……穢れた地上のものを食べて過ごしたので“浄化”のために不死の薬を服用

「罪を犯したヒロイン」「相手役は一度は手に入れた不死の薬を結局は失う」「月に行くには(不老)不死の薬が必要」という点が共通しているところでしょうか。個人的には、嫦娥奔月の世界観を生かして竹取物語が書かれたような印象を受けました。果たして竹取物語の作者は、嫦娥奔月を知っていたのでしょうか?

「竹取物語」の作者は不明ですが、研究によって9世紀頃、遅くても10世紀半ばぐらいまでに書かれていたということは解っています。そして作者は幅広い知識を持ち、漢文のみならず仮名文字も使いこなせ、都周辺に住んでいた上流階級の人であるということまで解っています。さらに内容に藤原氏批判ともとれるものが含まれているため、作者は藤原氏以外の出自ではなかという推測もされています。

幅広い知識を持ち漢文も扱えたということは、当然、作者は漢籍(中国の書物)にも通じていたはずです。つまり、嫦娥奔月の話に触れていた可能性は十分にあるということです。また、竹取物語に出てくる「不死の薬」からも漢籍の影響をうかがい知ることができます。

上流階級に属していた作者は、遣唐使を通じて唐の最新情報に触れることも可能だったはずです。遣唐使が最後に派遣されたのが9世紀半ば。竹取物語が書かれた時代と一致します。そしてこの頃の唐は、皇帝の「不死の薬(丹薬)」服用による中毒死が相次いでいた時代でもありました。

14代皇帝憲宗は丹薬の中毒症状で錯乱したために、命の危険を感じた宦官らに暗殺されました。その息子・穆宗は、丹薬の中毒により29歳で亡くなり、穆宗の息子・敬宗も同じ中毒で18歳で亡くなっています。道教を妄信し「会昌の法難」とよばれる宗教弾圧を引き起こした18代皇帝武宗も、やはり丹薬の中毒で32歳で亡くなっています。

このような時代の流れの中、当時の詩人・李商隠(りしょういん)は、不老長生へ憧れる皇帝への風刺を込め『漢宮詩』という七言絶句を書いています。

竹取物語に出てくる「不死の薬」は、この中国の「不死の薬(丹薬)」の影響を受けている可能性が高いと言えます。何故なら、日本では古来より、月にあるのは「不死の薬」ではなく「若返りの水」だったからなのです。

万葉集の中には、月の神・月読尊は若返りの水「変若水(おちみず)」を持っているとされる歌があります。月に若返りの水があるというのは、おそらく海洋民が持っていた古くからある信仰だと推測できます。例えば宮古島や波照間島などにも「月から若返りの水がもたらされたが、人はそれを手に入れることができなかった」という伝説があるからです。満ち欠けを繰り返す月の姿と、潮の満ち引き。月の影響を間近に感じることのできる海と共に暮らす人々にとって、月と水と若返りはごく自然に結びつくもののような気がします。

しかし竹取物語に出てくる月の霊薬は、かぐや姫が「舐めた」以上、日本古来の変若水ではなく、唐の丹薬のようなものであることは間違いありません。とすると、不死の薬を服用して若死をした唐の皇帝に対し、日本の帝は服用せず燃やしてしまったという面白い対比も浮かんできます。ではこの月の霊薬とは、嫦娥が月へ持って行った西王母の薬と同じものなのでしょうか。

嫦娥が飲んじゃったんだから、当然月にはもう無いよね、という身も蓋もない言い方もできるのですが、もう少しだけ続きます。

中国の伝説では、月のウサギ―玉兎は月で不老不死の薬を搗(つ)いているそうです。その玉兎は、一説によると嫦娥の夫・ゲイが、彼女の後を追って月に行き、彼女が好きだったウサギに姿を変えたものだそうです。また、薬を盗んだことを悔いた嫦娥が、何故かヒキガエルからウサギに姿を変え、不死の薬を搗いているという説もあります。

古代中国神話の英雄神ゲイのMっぷりにはもう拍手を送りたいとか、嫦娥は作り方知ってるんだったら盗まないで最初から作ってろ!とかいうのは置いといて、問題は月の都から天人が持ってきた不死の薬は、果たして玉兎謹製かどうかということです。

実は、玉兎に関する資料が全然見つからず、何とか百度百科の広寒宮の記事で、上記の伝説を見つけたのですが、出典が不明。そのため、竹取物語が書かれた当時に、そのような伝説があったのかどうかまでは確認ができませんでした。

ただ、先ほども紹介した『漢宮詩』の作者・李商隠が書いた『嫦娥』という七言絶句では、孤独の中で後悔に苦しんでいる嫦娥の姿を詠っています。このことから「良かった!可哀想なゲイは月にはいなかった!」…ではなくて、当時も嫦娥は月で後悔していると思われていたことは間違いありません。ただ、不死の薬を作っていたかどうかまでは確認できませんでした。玉兎に関しては、詳しい方がいたらぜひご教示いただきたいところです。

とりあえず、確認できた中で言えることは

・竹取物語は嫦娥奔月を参考にしていた可能性がある(個人的は絶対そうだったと思ってます)。

・月の霊薬は、中国の丹薬をイメージしているであろうが、玉兎(=嫦娥)が作ったものかどうかは不明。

ということでしょうか。

ということで、竹取物語は嫦娥奔月を元ネタの一つとしてたかもよ、ということで締めるわけですが、最後にちょっと蛇足。

竹から誰かが生まれる話のことを「竹中誕生譚」と呼んでいるのですが、このお話のパターンは東南アジアや中国にも多く見られるそうです。

その中の一つに「竹王」の伝説があります。竹王は戦国時代から漢の時代にかけて、今の雲南省貴州辺りにあった夜郎国の王です。「夜郎自大」の四字熟語の元になった夜郎国は、どんな民族かはっきりと解っていませんがおそらく彝(イ)族や白族など、漢民族とは異なる民族が建てた国と言われています。その伝説とは、後漢書南蛮西南夷列伝によると次のようになります。

女の人が水辺で洗濯をしていると、大きな竹が足の間に流れ着いてきたそうです。竹の中から泣き声が聞こえたので、割ってみるとそこから男の子が現れました。女の人はその子を連れて帰って育てることにしました。男の子は武術の才をもって成長し、やがて夜郎国の王となりました。そして「竹」を姓として名乗るようになったといいます。

と、まるで桃太郎に竹取物語が合わさったようなお話が、かつて雲南省にあった国に伝わっていたなんて面白いです。そして某携帯会社のCMでは、この二つのお話の主人公たちが夫婦をやっているという、偶然の一致もね。

■筆者プロフィール:瑠璃色ゆうり

東京出身。立正大学文学部史学科卒(東洋史専攻)。ライターとしての活動は2006年から。平行してカルチャースクールスタッフや広告代理店で広告営業なども経験。2017年よりライターのみの活動に絞る。現在は美容やファッションからビジネス関係まで、幅広いジャンルで記事を制作している。張紀中版射雕英雄伝と天竜八部を観て修慶(シウ・キン)のファンになり、修慶迷として武侠ドラマファンの間では知る人ぞ知る存在に。現在は趣味にて小説も執筆中。

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