人民網日本語版 2017年12月1日(金) 15時0分
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2014年6月にブラジルでサッカーW杯が開催された際、日本はグループステージで2敗してベスト16に入れず、決勝トーナメントに進めなかったが、日本のサッカーファンが試合後、観客席の通路や競技場のごみを拾う姿に、世界中から「いいね」が寄せられた。資料写真。
2014年6月にブラジルでサッカーワールドカップが開催された際、日本はグループステージで2敗してベスト16に入れず、決勝トーナメントに進めなかったが、日本のサッカーファンが試合後、ごみ袋を手に観客席の通路や競技場のごみを拾う姿に、世界中から「いいね」が寄せられた。瞭望東方が伝えた。
日本のサッカーファンのこうした行動は、実はごく自然なもので、日本人の価値観に浸透した「環境保護意識」に基づいている。
日本を旅行した人の多くが、豊かな緑と都市の町並みの清潔さに最も強い印象を受ける。道にはチリ一つ落ちておらず、さらに不思議なことに、日本の大通りには基本的にごみ箱がない。大型のごみステーションなどももちろんない。人々の暮らす住宅街でも、飲み物の自動販売機の横に飲み終わったビンや缶を捨てる専用のごみ箱はあるが、それ以外、ごみ箱はほとんど見当たらない。
日本人は外で出たごみをどうやって処理しているのだろうか。
答えはこうだ。日本人はごみをビニール袋に入れて家に持ち帰り、家で捨てる習慣が基本的に身についており、道ばたにむやみに捨てたりしない。子どもも高齢者もみんな同じだ。
日本で暮らす時に学ばなければならないことの一つはごみの捨て方だ。コミュニティーでは、ごみを捨てるタイミングが決まっており、たとえば月曜日と水曜日は「可燃ごみ」の日、火曜日は「不燃ごみ」の日、金曜日は「古新聞、ビン、缶などの資源ごみ」の日などとなっている。コミュニティーの目立つ場所にはごみの分別の説明書きがあり、近くのコンビニには専用の回収ボックスがあり、飲料ビンなどのほか、牛乳パックなどを回収してリサイクルに回す。
日本人の環境保護意識は生まれながらのものではない。日本社会にもかつて汚染が起こり、対策に奔走した歴史がある。
1960年代までは、日本は第二次世界大戦後の経済回復と経済成長に力を注ぎ、環境の保護を重視していなかった。60年代になり、経済が高度成長期にさしかかると、環境を脅かす公害の問題が顕在化するようになった。3大公害病(熊本県の水俣病、三重県四日市市の四日市ぜんそく、富山県のイタイイタイ病)が出現すると、日本人は今日の中国人のように、「経済発展は環境を犠牲にして発展の代償にしてはならない」ことを徐々に認識するようになった。
日本は1958年に「公共用水域の水質の保全に関する法律」(水質保全法)と「工場排水等の規制に関する法律」(工場排水規制法)が制定され、62年には「ばい煙の排出の規制等に関する法律」が制定され、67年には「公害対策基本法」が可決された。
60年代以降、日本の環境汚染の被害者たちは大規模な集団訴訟を起こすようになり、メディアも追跡報道を行った。多くの地域で環境汚染に反対する市民グループが結成された。
70年には、ひたすら経済発展を求めて環境保護のことを考えない態度について、反対が45%、賛成が33%になり、初めて反対が社会の主流になった。内閣には公害対策本部が設置され、この時の国会は「公害国会」などと呼ばれた。
「公害国会」では、環境保護に関する14法案が可決された。
70年代になると、日本は環境影響評価制度を段階的に構築し、人々の観念はそれまでの「公害を防止する」から「環境を保護する」へと徐々に変わり、こうして日本も「環境保護時代」に足を踏み入れた。(提供/人民網日本語版・編集/KS)
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