Record China 2008年8月19日(火) 17時13分
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国民的ヒーローの途中退場はオリンピックムードに沸く中国の人たちを震撼させた。18日、国家体育場で行われた男子110m障害の1回戦。劉翔はスタートの直後、第1ハードルの前で立ち止まり、その後、ナンバーカードを外し、大観衆の見守るコースを去っていった。
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国民的ヒーローの途中退場は、オリンピックムードに沸く中国の人たちを震撼させた。
18日、国家体育場(愛称:鳥の巣)で行われた陸上男子110m障害の1回戦。「加油!(がんばれ)中国」の大合唱の中で、スタート位置についた劉翔(中国)は、スタートの直後、第1ハードルの前で立ち止まり、その後、ナンバーカードを外して、大観衆の見守るコースを去っていった。
私はこの日、別の取材で、ある競技会場にいた。そこの運営スタッフを取材すべく、ちょうどお昼時だったため、彼らの胃袋を満たすスタッフ食堂で食事を頂いていた。劉翔が登場した瞬間、500人ほどが入る大食堂の全てが箸を止め、2箇所に設けられた大型モニターに見入っていた彼らは大歓声を上げ、国民的ヒーローを迎えた。そして、彼がフライングのあと、再びスタート位置に戻ることなく、控え室に帰っていった瞬間、何が何だか分からないというおかしな空気が漂った。「どよめき」と「ため息」が入り混じり、にわかにはその現実を受け入れられない彼らは、それまでの歓声がうそのようにシーンと静まり返り、ヒーローの様子を見守った。この「おかしな空気」は私にとっても一生忘れられない一シーンとなるだろう。この空気こそ、中国全土の人々がこの現実を目にしたときの気持ちを代表するものに違いない。
私は3年前、この一人の天才アスリートの走りを生で目にし、その肉声を取材したときから、彼は必ず北京五輪で優勝すると確信していた。別に専門的な根拠があるわけではない。ただ、彼は不世出の天才ハードラーであり、根っからの英雄だと私に思わせる何かを持っている男だった。だから、若くて強力なライバル、デイロン・ロブレス(キューバ)が登場しても、今年6月1日のニューヨーク陸上で退場し、右足の古傷悪化が伝えられても、また選手村入りした直後に病院で検査を受けたというニュースが入ったときも、私はそれらが全て、「天才・劉翔の物語」を完結させるためのサイドネタに過ぎないと思っていた。天才が最高の結果を迎えるときには、えてして、そんな逆境がつきものだし、それがあるからこそ、劉翔はヒーローなのだ…という妙な確信を持っていた。
だから、昨日の出来事は私にもにわかに受け入れることができないものだった。
ケガは「古傷」…アキレス腱疲労
この日、第6組2コースでウォーミングアップをしている劉翔は、いつもの自信に満ちた表情とは程遠く、眉間にしわを寄せながら、右足をしきりに気にしていた。そして号砲と共にスタートを切ったものの、他選手のフライングにより、レースはやりなおし。だが、劉翔は苦悶に満ちた表情で、太ももの「第2コース」を意味するナンバーカードを剥がし、一人向きを変え、選手控え室に通じる通路に引き返していった。
その後、劉翔は記者陣の前に現れることがなかったようだが、専属コーチの孫海平氏が記者会見に応じ、涙ながらに、その苦悶の選択の真相を語った。各メディアが報道する内容によると、劉翔のケガが悪化したのは、先週土曜日、練習中のことだったそうだ。孫氏によると、アキレス腱の傷はかなり前からのものであり、「古傷」であったようだ。
専門家によると、おそらく、これはアキレス腱の疲労がもたらしたものであり、頻繁に高い強度の練習とレースを繰り返し、その後、疲労回復しないままにトレーニングを続けたことが原因ではないかということ。その最悪の結果がよりによって、あの13億が見守る鳥の巣での本番中に現れてしまったというわけだ。
不世出のヒーロー、ケガと戦いながらの4年間
才能に溢れた若き劉翔が初めて世界の表舞台に登場したのは、2003年の世界選手権で3位に入ったときだろう。欧米、アフリカ勢が圧倒的優位を占める短距離界において、彼の潜在力は誰もが認める突出したものだった。
そして、アテネ五輪では12秒91を出し、アジア勢として初めて優勝。中国陸上、いやアジア陸上にとって、大きな一ページとなる出来事だった。
そして、祖国でのオリンピックを4年後に控え、そこで金メダルをとるという最大の目標のために厳しいトレーニングが始まった。だが、同時に、その直後から、彼の足は、あの「悲劇」に向けて、少しずつ負担を重ねていたのだ。
今から思えば、2005年夏、劉翔が全国陸上グランプリという国内大会に出場したときから、この悲劇の序幕が開いたといえよう。この大会で、劉翔は所属する上海代表の4×100mリレーのアンカーとして出場した。だが、得意のハードルと技術的に大きな違いがあるからか、レースの翌日、左足の腿がパンパンに膨れ上がったという。検査の結果は大事には至らないということだったが、このことが劉翔の足に大きな負担をかけていった可能性はある。
またこのころ、劉翔は右足に頻繁に出来る水ぶくれに悩まされた。その水ぶくれが破裂したあと、その部分がスニーカーとの摩擦で「たこ」になり、それが足の肌肉の中に入り込んで、常に違和感があったそうだ。ただ、それ自体は特に痛みがなく、トレーニングに支障をきたさなかったため、それほど大きな問題にはならなかった。
劉翔のケガで最も大きなものは、2006年初頭のことだろう。冬合宿の成果を試すため、全国室内陸上の上海大会に出場する予定だった劉翔だが、開幕3日前に、練習後、階段を踏み外して、左足を損傷してしまった。
その後、無事に復帰した劉翔だが、靴との相性からくる水ぶくれは続き、1週間ほど、練習がストップすることもあった。だが、ご存知のように仏ローザンヌの国際陸上で当時世界新記録となる12秒88の好タイムを出すなど、対外的には、北京五輪に向け、順調な調整ぶりを見せているように見えた。
そして2008年6月1日、ニューヨークグランプリ陸上に出場した劉翔だが、レース開始直前、太ももに違和感を覚え、棄権。当時、コーチの話によると、太ももの筋肉疲労ということだったが、すでにこのころから、劉翔の足は限界にきていたのだろう。
すでにこの鳥の巣に入ったときから、劉翔は走れる状態になかった。だが、それでも3人の医師を現場に置き、最後まで諦めなかった。劉翔は試合前、痛みを麻痺させようと、右足で壁を強く蹴りつける凄まじい姿が見られた。そこまでして、レーンに立とうとしたのだ。
スポンサーも対応に追われる…各界の反応は?
劉翔はアスリートとして一流であるだけでなく、「広告王」としても知られている。各企業がこぞって彼をCMやイメージキャラクターに起用しており、そのギャラは3億円をゆうに超えているといわれている。
しかも、その企業はそうそうたるメンバーで、スポーツ用品メーカーのナイキ、VISA、コカコーラなど国際企業をはじめ、国内ではレノボ、中国郵政EMS、中国移動通信など、15社以上。2004年のアテネ五輪後、ナイキと30万元(450万円)でCM契約を結んで以降、その数は爆発的に増え、町を歩いていれば、必ず彼の写真がデカデカとのったポスターや看板に出会う。
そして、彼らは一様に、北京五輪で劉翔が金メダルを獲得し、その「先行投資」が莫大な商品価値に成長することを見込んでのことだった。ライバルはいるものの、世界ナンバーワンの力をもつ劉翔はある意味「リスクの少ない」投資対象だったといえる。
特に劉翔が最初にオリンピックの舞台に姿を見せる8月18日以降は、その広告価値が最大になるときであり、各社ともテレビ、新聞、看板など大量の広告を出す予定にしていた。
この緊急事態に対し、一番早く手を打ったのは、ナイキだった。新聞「財経」によると、全国各地にある看板の内容を19日から、変更するとしている。ただ、変更後も主役は劉翔であることには変わりなく、ただテーマについて、若干の変更を加えるのみ、と説明している。
ただ困惑している企業もあるようだ。新聞「財経」によると、あるスポンサーは「金メダルを取ったときと取らなかったときのそれぞれの対応策については考えていた。だが、まさか棄権するとは…」と絶句しているという。このスポンサーは、2006年2月に3年契約で劉翔を起用。翌年11月からは、同社の社長と劉翔を並べた広告を打ち、話題となった。
いずれも今のところ、劉翔と契約を打ち切るなどの措置は表明しておらず、今後も、契約関係を続けていく方針を示している。これからの世論の動向や本人のケガの様子を見た上でということになるだろう。いずれにしても、全ての目論見が外れた各企業にとっては大きな痛手となることは間違いない。
また、ある専門家の分析によると、北京五輪で金メダルを取るか、取らないかは、10億元(150億円)以上のギャラの違いにつながるということだ。
これも、今後の「ストーリー次第」だが、いずれにしても「CM王」の座を続々と生まれている五輪ヒーローたちに明け渡す日が来るのは間違いないかもしれない。
ただ世論の動向は非常に同情的という感じがする。
日本の各報道や記者のコメントを見ていると、国内で非難の声が殺到しているとのイメージがあるかもしれないが、私の印象は異なる。
もちろん、祖国の英雄が金メダルを逃したことへの失望は大きいが、むしろ、彼のこれまでの功労を称え、また、不幸な結果に同情する声が大きいような気がする。新聞記事や、取材記者のブログ等がソースにしているネット掲示板での反応に関しても、実際に覗いてみると、決してこういう声が圧倒的多数というわけではないことが分かる。
もちろん、一部に過激な意見があるのは確かだし、大きなショックを受けたのは間違いないが、大多数は、マラソンの野口や土佐の棄権がもたらした日本での反応とそれほど変わらず、ある程度、冷静な受け止め方をし、むしろ同情を寄せる声が大きいのではないか。もちろん、劉翔目当てに高騰していた入場券を買い求めた人にとっては、たまったものではないかもしれないが…。
劉翔「もう一度復帰を」
彼は試合後、記者の取材を受けなかったが、ある記者がコーチを通じて、その肉声を伝えている記事を見つけた。劉翔は「すごくつらい。全国の人民の期待を裏切ってしまった。」と語ったという。
そのコーチによると、劉翔はアテネ五輪後の4年間、ほとんどプライベートで外出することなく、練習がないときは、一人部屋の中で、ネットをする毎日だったそうだ。華やかなヒーローの生活は「孤独」との戦いだったことが伺える。
劉翔は試合後、「多くの人たちの声援に感謝したい。ケガを出来るだけ早く直して、もう一度、帰ってくる」と語ったそうだ。
年齢的に今がピークであり、若いライバルが台頭していることからすると、「次」は非常に厳しいかもしれない。だが、これもまた「劉翔ストーリー」の一部だとすれば、もしかしたら、本当に「次」があるのかもしれない。一部では引退して、芸能界入りなどという話も噂されていたが、今後の劉翔がどうなるのか…引き続き、注目していきたい。
<注:この文章は筆者の承諾を得て個人ブログから転載したものです>
■筆者プロフィール:朝倉浩之
奈良県出身。同志社大学卒業後、民放テレビ局に入社。スポーツをメインにキャスター、ディレクターとしてスポーツ・ニュース・ドキュメンタリー等の制作・取材に関わる。現在は中国にわたり、中国スポーツの取材、執筆を行いつつ、北京の「今」をレポートする中国国際放送などの各種ラジオ番組などにも出演している。
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