今年102歳!旧日本軍の従軍医、70年以上たった今も地域医療に貢献―山東省済南市

Record China    2010年3月3日(水) 10時39分

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1日、日中戦争の際に中国へわたった旧日本軍の従軍医で、今年102歳になる山崎宏さんは、戦争終了後も中国に残り、70年以上も医療奉仕活動を続けているという。

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2010年3月1日付の南部週刊によると、日中戦争の際に中国へわたった旧日本軍の従軍医で今年102歳になる山崎宏さんは、終戦後も中国に残り、70年以上も医療奉仕活動を続けているという。

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岡山県出身の山崎さんは1937年、29歳の時に旧日本軍・赤柴部隊の従軍医として中国・山東省済南市へわたった。その数か月後、山崎さんは部隊を離脱。その理由について、「戦争での殺戮に嫌気が差して脱走した」との説や、「山崎さんは部隊で違反行為を犯しし、罪を免れるために脱走した」との説もあるという。だが山崎さん自身、部隊離脱の経緯については口を閉ざして語らない。しかしその後、日本へ戻らず同市に残り、70年以上にもわたって医療活動を続けている。その理由について、山崎さんは「(終戦後に)中国は日本に一銭も要求しなかった。その恩に報いているため」と答える。

現在102歳の山崎さんは、39歳の時に現地で11歳年下の中国人女性と結婚。中国で小児科の医療資格を取り、地域医療への貢献を続けてきた。山崎さんは85歳になるまでは1日に3か所の診療所を回って診療を続けてきたが、現在は高齢のため、63歳の娘一家と同居する自宅の隣りに構える診療所だけに限っている。それでも週6日間、無料或いは低額での診療を続けており、地域医療に大きく貢献している。「自分だけでなく、自分の子、自分の孫まで先生にお世話になった」と語る患者さえいるという。

山崎さんのこうした活動は、日中友好の民間大使としての役割も果たしており、山崎さんの遠縁に当たる親戚が市役所で働く縁も手伝って、1983年には和歌山市と済南市が友好都市関係を結んだ。また、09年10月には日中民間交流に貢献した功績などが認められ、日本の総理大臣賞を受賞している。

山崎さんは現在「私に残された日はもう多くない。生きている限り、より人々のために貢献したい」と語っているという。(翻訳・編集/HA)

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