<コラム>中国の食卓で日本人が感じた温かさ、ご近所さんとの会話に爆笑

茶妹小丸子    2018年1月13日(土) 20時10分

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北京の姉さんの実家に着いたその日の午後、お母さんが一緒に買い物に行こう!と言ってくれた。初めて行く大連の街でお買い物だった。写真は大連の住宅地。

北京の姉さんの実家に着いたその日の午後、お母さんが「一緒に買い物に行こう!」と言ってくれた。初めて行く大連の街でお買い物だった。お買い物は自宅近くのマーケット。といっても、当時は今のようにスーパーマーケットはなかった。肉や魚も今のように冷蔵されていなくて、外のマーケットでそのまま売っていて、しかも量り売りだった。

自分の目で見た当時の店や買い物は日本とは全く違い、驚きと不思議が混在したような感じだった。そうしてお母さんと2人で買い物をしていると近所の人だろうか?お母さんに声をかけてきて、私も笑いそうなくらいの会話が展開されていった。

近所の女性:「あら、〇〇さん、こんにちは。お買い物?」

お母さん:「そう。夕飯の買い物なのよー」

近所の女性:「そりゃーそうと、(私をちら見して)そちらの人は誰かしら?」

お母さん:「あー、この子はうちの4番目の子どもよ!」

近所の女性:「えっ?おたく4人も子どもいたっけ?3人じゃなかった?」

お母さん:「あらー、いたわよ。今ねー、日本にいるのよ〜」

近所の女性:「あらー、そうだったの〜」

という会話が私の耳に流れて行った。近所の女性はお母さんの話を疑いもせずに納得していたようだった。私は側で内心、「えっ?私4番目の子どもなの?このおばさん話信じちゃったの?」と半分笑い、半分ビックリした。

後でお母さんに「あの人、お母さんの話信じちゃってたみたいだけど…」と私が言うとお母さんは笑いが止まらなくなっていた。家に帰ってお父さんに話をしたらお父さんも大笑いしていた。

夕飯はお母さんが作ってくれ、私も横で何かできることを手伝った。当時お父さんとお母さんは50代後半か60代前半の初老と言える年齢の夫婦だったので食卓の食事は贅沢なものではなく質素だが、とてもあたたかな食事と食卓だった。この日の夕飯の食卓に蝦蛄(しゃこ)が山盛りになって出てきた。そうしたらお父さんがもう無言で蝦蛄に貪り(むさぼり)ついていた。あっという間に蝦蛄の殻も山盛りになった(笑)。お父さんは食欲がとても旺盛だった。身体も大きかったから食べないと身体を維持していけないのかな?とも思った。

中国人の食事は日本人のように話をしないで黙々と食べるということはない。日本では私の幼少時代にはよく、食事は黙って食べなさい!と言われていた。今考えればまるで葬式の雰囲気のようだった。

それは、子どもながらに「なんてつまらない食事なんだろ!」と思っていた。しかし、中国人の家庭で味わった食事は日本とは180度違い、おしゃべりをしながらの楽しい食事だった。この時に、「あー、こういう食事はとても美味しく感じるな!」と実感した。当時食事中に何を話したか?今では記憶がないのだが、とても楽しかったことだけは覚えている。

こうして大連の1日目が終わっていった。明日はどこかに出かけるとお母さんが言っていた。確か?旅順に行くとか言っていたような。この旅順、当時は外国人は立ち入り禁止の場所だったのに。私とお母さんは行くことになった。

■筆者プロフィール:茶妹小丸子

1967年生まれ。千葉県出身。中国浙江省杭州大学(現浙江大学)漢語進修コースに1年留学。広西チワン族自治区外貿公司駐日本代表事務所に5年の勤務、上海に4年間駐在した経験を持つ。バリバリのキャリアウーマンでもない、半分パートタイムで半分専業主婦が30年間自分の目で見て聞いた事を日本の皆さんに紹介できたら!と思っている。

■筆者プロフィール:茶妹小丸子

1967年生まれ。千葉県出身。中国浙江省杭州大学(現浙江大学)漢語進修コースに1年留学。広西チワン族自治区外貿公司駐日本代表事務所に5年の勤務、上海に4年間駐在した経験を持つ。バリバリのキャリアウーマンでもない、半分パートタイムで半分専業主婦が30年間自分の目で見て聞いた事を日本の皆さんに紹介できたら!と思っている。

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