<レコチャ広場>フィリピンは「悪しき民主主義」の典型なのか?

Record China    2010年8月30日(月) 11時41分

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27日、中国のジャーナリスト・閭丘露薇氏はブログでエントリー「民主主義の称号の下にあるフィリピン」を発表した。写真は26日の香港。この日はバスジャック事件犠牲者の哀悼日に指定された。

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2010年8月27日、中国のジャーナリスト・閭丘露薇(リューチウルーウェイ)氏はブログでエントリー「民主主義の称号の下にあるフィリピン」を発表した。以下はその抄訳。

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何度かマニラに行ったが、最も印象深かったのは空港のイミグレーション、海外で働くフィリピン人のための専用通路が設けられている。フィリピンの人口は9000万人だが、うち1000万人以上が世界各地で働いている。その大部分は家政婦、建設現場労働者などの非熟練労働者。また、看護士や幼稚園教師などの専門技術を持つ人は米国へ向かうケースが多い。インド人同様、英語が話せるという優位点があるためだ。

もし生活が困らないのであれば、故郷を離れて世界各地で働きたいなどとは誰も思わないだろう。香港で働く家政婦たちは年に1週間しか休みがない。しかも帰国費用を節約するため、帰国するのは2年に1度。夫婦がそろって海外で働くのでもなければ、一家がそろうことはない。子供に至っては成人するまで、留守を守ることになる。こうした厳しい状況であっても、国内の失業率の高さや給与水準の低さと比べ、海外への出稼ぎはやはり魅力的だ。香港のフィリピン人家政婦には大卒も少なくないという。

香港の最低賃金は月3580香港ドル(約3万9000円)。フィリピンで家政婦として働く7倍になる。教師や看護師でも1600香港ドル(約1万7400円)程度。警官でも2000香港ドル(約2万1800円)を上回る程度にしかならない。

フィリピンは米国式の民主主義を導入しているが、悪い典型として挙げていることがしばしばだ。曰く、民主主義は経済成長をもたらさない、選挙で選ばれた大統領も最後は汚職で摘発される、などなど。

他の新興国同様、フィリピンもまた格差問題に直面している。経済成長は国民の約18%にのみ享受されている。また、寡頭政治、家族政治の伝統は根強い。ある研究によれば、1946年の独立以来、198から210の家族がこの国を統治しているという。不正蓄財容疑で退陣したエストラーダ元大統領は今年、再び立候補したが落選。しかしその息子は国会議員に、愛人は市長になった。

民主主義を機能させるには、システムと選挙があるだけでは不十分。いかに権力を制約するか、いかに政治の腐敗を抑止するかがカギとなる。フィリピンはいまだこの問題をクリアしていない。同じく選挙で大統領を選んでいるアフリカ諸国も同様。アジアの民主主義の模範と目されている台湾であっても、司法など同じく問題が存在している。

フィリピン国民は司法の公正さを信じていない。ゆえに暴力だけが問題を解決する道となる。フィリピンには野党も、独立したメディアもあるが、しかしそれでも底辺の民衆が抱える問題を解決するシステムが存在しない。そのため、今回、バスジャックを起こしたメンドーサのような人物を生み出すこととなる。こうした事情は中国でも同じだ。

バスジャック事件後、フィリピン政府は香港にいるフィリピン人家政婦たちに携帯メールを送り、この敏感な時期に雇用主との関係をうまく処理するよう促した。フィリピンの政治家たちにとって、家政婦は重要な票田。無視することはできない。2003年、アロヨ大統領(当時)は香港への労働力輸出一時停止を発表したが、これは香港政府の外国人労働者最低給与削減に抗議してのものだった。権力が制約されることなく、また政治資源が一部に独占されている状況にあって、選挙権を持つ民衆は単なる投票のための道具とされてしまう。

EDSAはマニラの大通り「Epifanio de los Santos Avenue」の頭文字をとったもの。1986年、この道に集まった100万人以上のフィリピン人たちの祈りがマルコス政権を崩壊させた。2000年末には同じ方法でエストラーダ政権を打ち倒した。2005年、EDSA3が計画されたが、アロヨ大統領は不正収賄疑惑の夫を切り捨て、香港に出国させることで難を逃れた。

こうしたEDSAピープルパワーと呼ばれる運動はフィリピン人の誇りであった。しかし、当時、運動に身を投じた知識人の中には、反省している人も少なくない。運動の背景には往々にして陰謀があり、民衆はその手先に成り下がってしまった。ピープルパワーは単に表面的な現象に過ぎなかったのだ、と。つまり、運動は権力者同士が既得利益の再分配をめぐって起こした争いに過ぎなかったと振り返っている。(翻訳・編集/KT)

●閭丘露薇(リューチウルーウェイ)

中国の女性ジャーナリスト。上海出身。香港フェニックステレビ(鳳凰衛視)の著名な記者で、03年のイラク戦争でバグダッドを取材した唯一の中国人女性記者として一躍名を馳せた。「戦場のバラ」と呼ばれ、中国全土で高い人気を誇る。

※本記事は筆者の承諾を得て掲載したものです。

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