<2006年年末企画> いつか行きたい中国の世界遺産(5)秦の始皇帝陵

Record China    2006年12月26日(火) 0時11分

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干ばつに窮した地元農民が井戸を掘っていたときに発見された、有名な兵馬俑。中国を初めて統一した秦の始皇帝が、その強大な権力によって作らせた墓だ。

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紀元前221年、中国は秦(しん)帝国によって初めて統一された。初代皇帝である始皇帝の墓「秦の始皇帝陵」は西安(せいあん)市郊外に位置し、周囲約6.2km、高さ76mと大きな規模を誇っている。

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始皇帝は38年の歳月と70万の人々を動員し、生前に自分の墓を造らせたと言われている。 始皇帝陵から東へ1.5kmの地点に、兵馬俑(へいばよう)坑がある。1974年3月、干ばつに窮した地元農民が井戸を掘り始めたところ、2〜3m掘ると変わった陶器の破片が見つかった。考古学者の鑑定により、ここに始皇帝の地下近衛軍団が配置されていることが初めて分かった。

この偶然の発見によって、地下に2000年も眠っていた世界を驚愕させる兵馬俑が、ようやく日の目を見た。坑は発掘順序に基づき1号坑、2号坑、3号坑と名づけられた。最大規模の1号坑は長さ230m、幅62m、深さ5m、総面積1万4260平方メートル、兵馬俑の数は約6000体と想像を絶する程の規模である。2号坑は6000平方メートル、俑の数は1000体余り。そして3号坑は500平方メートル、俑の数も58体に過ぎず、規模は一番小さいが、地下軍の司令部に当たる。1号坑では今なお発掘が続けられているが、中は土掘によって区切られ、上に丸木を掛け、その上にゴザを敷き、表は2mの土で覆われている。前衛部隊とその四方に立っている警備隊に守られ、主力軍は38列に分けられ、東に向かい整然と列を組んでいる。

兵隊俑の平均身長は180cm、上半身は空洞だが下半身は空洞ではない。表情はそれぞれ異なり、身分により服装もまちまちだが、共通しているのは、いずれも手に武器を握っていることだ。一部の俑にはまだ色彩が残っている。馬の高さは1.5mで西域の大宛の馬に似て、足が速いと言われている。

兵馬俑はこの付近の粘土を材料にして、彫刻などの手法を施し、最後に窯に入れて焼いて造られた。殉死制度のあった時代に人間に代わって陶製の人形を殉死品とすることから、人類文明の進歩をうかがうことができる。

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