Record China 2011年10月29日(土) 5時45分
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25日、北京在住の作家が「日清戦争―農業文明の谷底」と題した記事を中国のブログサイトに掲載した。写真は山東省にある「甲午戦争(=日清戦争)博物館」。
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2011年10月25日、北京在住の作家・劉方[火韋](リウ・ファンウェイ)氏が「日清戦争―農業文明の谷底」と題した記事を中国のブログサイト・鳳凰博報に掲載した。以下はその内容。
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200年前、中国人が初めて西洋の白人と接触するようになった時の光景を想像してみてほしい。中国の民間では古くから、金髪に青い目、彫りが深く高い鼻を持つ生き物は「妖怪」の類に数えられてきた。「西遊記」に出てくる妖怪たちと200年前の白人を比べてみると、思わずニヤリとしてしまうに違いない。中国人が西洋人を「洋鬼子」(広東人は「鬼老」)と呼ぶのも分かるだろう。
そのため、白人が初めて中国に来た時は「変種」扱いされた。だが、当時は宣教師が大半。「凶悪そうな」顔に似合わず物腰は穏やか、しかも中国人には物珍しいものをたくさん持っている。そのせいで警戒心の強い中国人も「侵略された」という感覚はなかった。もともと客好きな中国人はこの遠方からの客人たちを大事にしたため、白人たちも安心して中国に住むことができた。それに彼らは辺ぴで不便な地域のために尽くしてくれた。
ところが、工業革命が勢いを増してくると、中国の資源と市場を狙った恐ろしい形相の西洋人が大挙した。しかも、資本−工業文明が彼らに与えた新型の鉄砲を持って。工業文明と我々中国の農業文明は求めるものが違う。ひとたび衝突が起きれば、傷つくのは保守的な農業文明の方であることは明らかだ。
中国人を真に目覚めさせたのは隣の国、日本の台頭である。1894年、中国と日本は朝鮮における権力争いから戦争が勃発。戦いは陸地から海へと拡大し、最終的に中国の全面敗北で幕を閉じた。この惨敗により、「天下の中心」だった中国人も自分たちの文明が遅れていることをようやく認めることに。あの小さな島国が、中国から漢字を学んでやっと文字を持った国が、しかも同じ黄色い皮膚の人たちが!
彼らは西洋文明を吸収したことで我々の前を歩くようになり、数千年の文明の歴史を、数億もの人口を持つ大陸・中国を打ち負かしたのだ。中国人にとって、これは民族の文明の危機以外の何ものでもない。他にどんな解釈の仕方があるだろうか?(翻訳・編集/NN)
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