<レコチャ広場>大震災から1年余、遅れる復旧=避難経路・場所造り―東北ボランティア体験記

Record China    2012年4月9日(月) 8時7分

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2012年4月、東日本大震災発生から1年余の宮城県気仙沼市をボランティアとして訪ねた。気仙沼は2回目だが、復興はもちろん、復旧も遅れている印象を持った。写真は今なお復旧が進まない気仙沼市。

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2012年4月、東日本大震災発生から1年余の宮城県気仙沼市をボランティアとして訪ねた。気仙沼は2回目だが、復興はもちろん、復旧も遅れている印象を持った。

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週末金曜の夜、夜行バス(総勢30余人)で横浜発。日曜早朝に夜行で帰るという強行軍(2泊3日)で、現地滞在は、土曜の一日だけ。とても短い。

震災から1年以上たった今日、さすがにがれきの撤去作業などはない。代わってボランティアすることになったのは、避難経路・場所造りの手伝いだった。カキとホタテの養殖漁業が主力産業の気仙沼は、甚大な被害を被った。しかし島に囲まれた入り江ではささやかだが、養殖作業が始まっている。

だが、いかだの上や海岸で仕事をしている漁業者たちの避難経路・場所がない。津波警報が出たときには、急ぎ高台に逃げなければならないが、避難するところがまだないのだ。

ボランティア参加者に割り当てられたのは、小高い丘の上にある竹やぶの竹(孟宗竹)を伐採して更地を確保。それに至る道を造る作業だ。地元のリーダーがチェーンソーで切った太い竹を1本1本手渡しで平地に下ろし、枝葉をはらって一カ所に積んでいく。汗が出る。

午前9時すぎに始まり、約3時間。昼食を兼ねた1時間の休憩の後、作業を再開しようとしたときに雨が振り出し、仕事は中断。午後は海岸近くの小屋に移り、カキの養殖作業を手伝った。カキの小さな稚貝が付着したホタテの貝殻をナイロンロープに等間隔(約10センチ)でくくり付けていく作業で、根気が要る。このロープをいかだから海に垂らす。1〜2年で立派なカキに成長する。

「成長するころには食べにきてください」。地元の漁業者たちは、異口同音に話した。中断された避難経路・場所造りは、後続のボランティアが引き継ぐ。

しかし、周りを見渡せば1 メートル以上も地盤沈下した漁港や周辺の整備は今もまったくの手付かず。町移転の全体計画造りが遅れているため、本格的な復旧・復興工事に取り掛かれない状態にある。「われわれのできることはささやかだが、こうして来続けることが現地の人の元気につながる」。ボランティアリーダーの一人の言葉が心に残る。(取材・編集/日本語教師RN)

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