人民網日本語版 2018年10月1日(月) 15時50分
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日中平和友好条約締結40周年である今年、日中両国の友好文化交流に長年尽力している人気歌手の谷村新司さんがコンサートツアー「38年目の昴」の北京・上海公演を行う。
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日中平和友好条約締結40周年である今年、日中両国の友好文化交流に長年尽力している人気歌手の谷村新司さんがコンサートツアー「38年目の昴」の北京・上海公演を行う。9月28日にはまず北京で公演が行われた。谷村さんが北京でコンサートを行うのは実に10年ぶりで、夜空で鮮やかに輝く「昴」のようにファンを魅了した。国際在線が報じた。
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1980年代から、谷村さんの名前は、譚咏麟(アラン・タム)や●麗君(●=「登」におおざと。テレサ・テン)、張学友(ジャッキー・チュン)、張国栄(レスリー・チャン)など、中国語圏の芸能界を代表する人気歌手と深いつながりを持つようになった。当時、中国語圏ではポップミュージックが急速に発展し、日本で流行している多くの歌曲がカバーされた。「花」や「浪漫鉄道」、「昴」などの曲名は知らなくても、そのメロディーを聞くと、懐かしいと感じる中国人は少なくないはずだ。作詞作曲を自ら手掛ける谷村さんの曲を、中国の多くの歌手がカバーし、多くの中国人がそれを聞いて成長したことに、谷村さんも感動を覚えるとしている。
音楽、特にポップミュージックの発展も、ほかの産業同様、発芽し、発展し、成熟するという過程を経てきた。80年代後期、西洋のエレクトロニックミュージックの影響を受け、日本のポップミュージックに大きな変化が生じた。多くの人がロックミュージックに熱狂していたその時代、谷村さんは堀内孝雄さんらとフォークグループのアリスを結成し、民謡やソフトロックの曲風で、日本のポップミュージック界にさわやかな力を注入し、多くの若者の間で人気を博した。若かった時代、谷村さんは、前に向かって走り続ける時代の代弁者だった。そして、ロックの道を歩んだ後、アジアミュージックや人文・伝統に回帰することを選び、今に至っている。取材に対して、谷村さんは、「昔のロック少年の時も、音楽を探求する今も、それらの経験が僕の音楽の一部になっている。そのような経験があったからこそ、今の僕がいる」と語った。
現在の日本のポップミュージックは、創作の面でも、製作面でも、アジアの流行を牽引している。それは、日本には整った音楽教育体系があることや、西洋のポップミュージック文化を全面的に吸收してきたことのほか、音楽の理念や技術の面で斬新な試みや模索を勇気を持って行ってきたからだと分析する声もある。日本のポップミュージックの発展を自分の目で見、肌で感じてきた谷村さんは、「『オリジナル』こそが、ポップミュージックの活路」と指摘する。
谷村さんは以前、「中国は、僕の前世の故郷で、僕の夢の中の故郷のために大ヒット曲『昴』を作った。子供の頃、目を閉じると、いつも地平線まで続く草原が見え、その上には満天の星が輝き、そよ風が吹いていた。実際にそのような景色を見たことはないが、僕の幻想の中のその景色は中国の東北地方に多分あるとずっと思っている」と語ったことがある。
約40年の間、谷村さんは音楽を懸け橋に、日中両国、ひいてはアジア各国との友好文化交流に全力で取り組んできた。中国の音楽ファンの多くも、言葉は違っても、同じ思い出、共通の文化があり、谷村さんの音楽には共感が持てると感じている。
谷村さんは今年、「昴」、「花」、「サライ」など、80年代の歌曲も収録されているステージ・セレクション・アルバム「EARLY TIMES~38年目の昴~」をリリースした。同アルバムは谷村さんがこれまで貫いてきた音楽が詰まっており、谷村さんの「80年代」に作った楽曲の回顧、巡礼でもある。歳を重ねるにつれ、谷村さんの歌は一層味のあるものとなっている。今年69歳の谷村さんは、「何歳でも、僕にとっては一番いい時」と笑顔で語る。(提供/人民網日本語版・編集KN)
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