日本人はなぜ魯迅を好むのか?―中国メディア

Record China    2012年11月25日(日) 11時20分

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23日、魯迅と日本人の関係を理解する上で難しいのは、魯迅が「中国人の国民性を改造」するために日本の良い点を学ぼうとする立場と、当時中国を侵略しつつあった日本に対する「民族的立場」という全く異なる立場を持つ点ではないだろうか。写真は学生が彫った魯迅の肖像。

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2012年11月23日、多くの人にとって、魯迅と日本人の関係を理解する上で難しいのは、魯迅が「中国人の国民性を改造」するために日本の良い点を学ぼうとする立場と、当時中国を侵略しつつあった日本に対する「民族的立場」という、全く異なる立場を持つ点ではないだろうか。北京青年報が伝えた。

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中国の国語の教科書にも掲載されている文章「一面」の中に出てくる魯迅の日本の友、内山完造はその著書の中で、それまで人々に知られていなかった出来事を明かした。内山完造の著書をまとめた中国書籍「我的朋友魯迅(我が友魯迅)」によれば、内山完造は当時、月給50万元で雇われた日本のスパイと容疑をかけられたが、魯迅はこのようなデマを気にする必要はないと言ったという。魯迅本人も円やルーブルを受け取ったと噂されたことがあったが、そのようなデマは歯牙にもかけなかった。魯迅が亡くなると、その夫人・許広平は漢奸として捕まった。内山完造は何度も日本軍と交渉し、毛布を送ったが、許広平がそれを受け取ることはなかった。釈放後に返された品の中からも、1冊の日記が抜き取られていた。デマを流布した人物が誰であるかは不明だが、二人の友人の助け合い、励まし合いからは、温かさが感じられる。

貴重な史料である同書には、魯迅の「謎に包まれた最後の十年間」における多くの真実が記録されており、内山完造と魯迅の交流、日本人作家が魯迅を好む理由などを読み取ることができる。同書の一篇「先生の言葉」からは、魯迅の勇敢な犠牲精神、真理と科学を尊重し真実を求める精神、青年と自由に対する愛と激励を感じることができる。魯迅が亡くなると、6000人以上の青年が葬儀に訪れた。これは中国でかつてない、今後も起こり得ないことであり、世界的に見ても珍しい出来事だ。今日「先生の言葉」を再読し、魯迅が当時取り上げた問題を振り返っても、依然として魂を揺さぶられる。

魯迅はかつて「孔子が今も生きていたら、親日派だろうか、反日派だろうか」と内山完造に聞いた。魯迅はこれについて即答しなかったが、「拿来主義」の中で示した観点によれば、いかなる民族(中国や日本、そして中国に対して深い影響を持つ米国やソ連)の思想文化にせよ、それぞれの長所があるはずで、それをすべて肯定もしくは否定するのは科学的なやり方ではない。後世の知識分子は「胡適か魯迅か」という論証に夢中になりがちだが、五四運動中に彼らが共に戦ったことを見落としがちだ。例えば、魯迅は内山完造に対して、中国人が学ぶべき日本人の長所はその真面目さだと語った。胡適も「差不多先生伝」の中で、中国人のいい加減さを強く否定している。この点はまさに、魯迅の医者としての冷静さや理性をよく示している。

魯迅は一人の医者として、人類が持つ欠点を強烈に批判したが、人類の生命や尊厳に対しては、愛情と尊重を示している。医者は「良薬口に苦し」「病を治し人を救う」存在であるが、うそつきは甘言を弄し、富を求め命を損ねる。そのため魯迅は暴力と虐殺を最も憎み、不当な手段により富を築いた話を非情に暴露し、青年学生の異常な死が耐えられなかった。これは魯迅が文章を通じて蒋介石政府をたびたび批判した主因だ。そのため人民の虐殺を試みる政府は、すべて魯迅の敵である。一方で、魯迅は新たな物事を愛し、これを励ました。魯迅は新たな文芸方式(欧州の木版画など)を最も好み、何度も展示会を開いた。ドイツ人の豪放さ、ロシア人の繊細さ、革命の激情、退廃と寂寞のすべてをこよなく愛した。

日本文学研究家の竹内好によると、日本の作家と読者が魯迅を好むのは、今日に至るまで日本の文学界に魯迅のような作家が現れていないためだ。これは日本の知識分子が魯迅を尊重する根本的な原因だろう。内山完造は、魯迅が日本古代の武士が持つ侠気を持ち、強硬であるべき時に妥協しなかったことが最も印象的だったとしている。抑圧と搾取にあえぐすべての人に対して、まずは自尊心、自信、自立を教えなければならない。自らを堂々たる「人」に改造することで、この民族に対して新たな転機をもたらすことができる。その過程において、自己批判と自己改造という苦しく長い道のりが強いられる。この点について、魯迅は自ら模範となってくれた。魯迅が創作を開始してから今日にいたるまで、彼に対して数えきれないほど多くの批判・評価がなされてきたが、魯迅の自己評価よりも厳しく、骨の髄まで染み渡る批判はなされていない。この点は、おそらく日本民族にとって最も不足している、今日にいたるまで把握できていない精神だろう。

刀の鋭さと菊の趣を愛でる民族は、驕りやすくまた挫折しやすい。反省せず、死んでも過ちを認めなければ、次の悲劇が始まるだろう。中国と日本は歴史・文化の面で同じ源を持ち、心理・歴史の面で同じような経験をしてきた。魯迅のような知識人は真っ先にこれを感じ取り、人々の心を震わせる作品を生み出したのだ。

仙台市は今日も、毎年一連のイベントにより魯迅の誕生日を祝い、この中国出身で、奮起し戦争に立ち向かった弱小民族のすべてを代表する精神的指導者を称えている。今日の中国では、韋小宝(金庸武侠小説「鹿鼎記」の主人公)のような功利主義・日和見主義が横行しており、批判と反省を妨げている。魯迅は当時、「中国人はなぜ自信を失ったのか」と問いかけた。理想と希望を軽視・嘲笑し、自己反省と自己批判が失われ、権力を恐れ、不公平を無視し悪に同調すれば、新たな「阿Q」が生み出されるのではなかろうか。(提供/人民網日本語版・翻訳/YF・編集/TF)

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