東日本大震災から丸2年、30万人が避難生活―中国メディア

Record China    2013年3月11日(月) 18時14分

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11日、東日本大震災から丸2年を迎えたが、家に戻ることのできない被災者が日本全国にまだ30万人いる。写真は11年3月、震災後の福島。

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2013年3月11日、東日本大震災から丸2年を迎えたこの日、日本各地で犠牲者を追悼する式典が行われた。この2年間、一時も休むことなく復興活動が続けられ、津波がもたらしたごみ処理などはある程度進んでいるものの、家に戻ることのできない被災者が日本全国にまだ30万人いる。中国新聞社が伝えた。

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津波で発生したごみ処理が、震災発生後1年目の日本政府の主な仕事だったが、2年目は被災者の帰宅問題にめどをつけることだった。しかし、今年3月の時点で、宮城、岩手、福島の被災地3県で、災害公営住宅へ入居した住民はわずか56世帯と、建設が進んでおらず、避難生活を続けている被災者が日本全国にまだ30万人もいる。

被災地の中でも、海抜の低い宮城県南三陸町は、津波の被害が最も大きな地域の一つだ。同県では震災後の2年間に、破壊された建築物の取り壊しがすべて終わり、津波がもたらしたごみもすでに片付けられている。ただ、津波に家を破壊された人々はいまだに仮設住宅での生活を余儀なくされている。公営住宅の建設が思うように進んでいないため、政府は仮設住宅の入居期間を2015年まで延長することを決めた。この4年の間に、被災者は生計手段にめどをつけておかなければならない。

同町には現在、設備など条件の整った病院や学校がなく、仕事を探すのも至難の業。この現実を前に、多くの被災者が他県への定住を余儀なくされている。政府は同村の復興計画の実施期間を8年後の2020年度と制定しており、被災者の帰宅への道のりはまだまだ長く、時間がかかりそうだ。

一方、復興特需に沸く宮城県と対照的に、静けさが漂っているのは、震災当時、福島第一原発事故の影響をもろに受けた福島県だ。基本的な復興作業である住宅の除染作業も、今年2月の時点で、わずか15.9%にとどまっている。また、県民の健康管理や農林水産業の生産回復、中小企業の振興なども大きな課題だが、どれも見えない放射能との戦いを背景に困難を極めている。

原発事故をめぐり、政府の対応の遅れや政策の不明瞭さを背景に、改善する気配のない現状に堪忍袋の緒が切れ、他県へと移動する現地の人々が増加している。被災者らは、自分の家に戻るより、公共設備が整い、生活も便利な仮設住宅のほうが良いと感じるのだ。

統計によると、福島の住民のうち少なくとも6万人が県外に避難しており、5年以内は帰宅するのが難しいという。一方、ある調査では、同県の若者の3分の1がすでに実家を後にした。その主な原因は、放射能が体に与える影響への恐怖だ。若者が同県を去っているということは、未来を支える若い人材が流出してしまっているということである。一方、留まっているのは高齢者が多く、これもまた同県の復興に新たな課題を与えている。

今のスピードで人口流出が進めば、30年後には同県の人口の約37%に当たる73万人が流出すると試算する専門家もいる。(提供/人民網日本語版・翻訳/KN・編集/TF)

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