<在日中国人のブログ>私が知り合った、「2000年の神秘の国」を世に知らしめた日本の和尚

呂 厳    2019年4月20日(土) 21時20分

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しばらく前、「中国新疆36年国際協力実録」という題の書籍が私の仕事場に郵送されてきた。日本人僧侶の小島康誉さんからだった。

しばらく前、「中国新疆36年国際協力実録」という題の書籍が私の仕事場に郵送されてきた。日本人僧侶の小島康誉さんからだった。

最初に小島さんの名を聞いたのは2004年のことだった。その時は、日本のあるテレビ局が新疆ウイグル自治区でシルクロード関連のドキュメンタリーの映像を撮影したいということになった。私は当時、日本で映像制作の勉強をしていた。偶然のチャンスから、私は制作スタッフの一員になることができた。そして新疆に到着した。現地で文化財を管轄する文物局の役人が、私にこんなことを言ったのだ。「新疆ウイグルでは、地元当局の指示に従っても、うまく行かないことが多い。でも、あなた方は日本から来た撮影クルーだ。なにか問題があったら、『小島』という名を出してみなさい。そうすれば、うまくいくかもしれない」と。実際に試すことはなかったが、新疆ではただ一人の日本人の名がそんなにもすごい威信を持っているのかと驚いた。私にとって「小島康誉」という4文字の日本人人名が、強い印象とともに記憶に残った。


その時から、私は「小島康誉」という人物に強く関心を持つようになった。情報が集まるにつれ、私はこの「小島康誉」という人物のこれまでの生涯が、まるで物語だと強く感じるようになった。少々の時間を割いて描写することはとても無理だ。というのは、彼は3人分の「人生」を歩んできたからだ。一つは成功した起業家、そして敬虔な仏教徒、さらに36年間にわたり自らつとめてきた国際交流の使者だ。もし彼を全面的に紹介しようとするなら、どうしても三つの角度から活動を整理していかねばならないことになる。

小島康誉さんは1942年、愛知県名古屋市で生まれた。特段の代わりばえはしない、勤め人の家だったという。そして24歳の時、宝石販売会社を起業した。ゼロからのスタートだったが26年間の奮闘が実り、日本国内で160店舗を展開するに至った。51歳になった1993年、創業したツルカメコーポレーションは名古屋証券取引所第2部に上場した。ところがその4年後、彼はきっぱりと社長を退任した。周囲は騒然となったが、小島さんは完全引退を宣言した。会社は今も「エステール」として繁栄している。


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