「外交に魔法や奇跡はない」=木寺昌人駐中国大使―中国メディア

Record China    2013年4月15日(月) 18時40分

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14日、日本の木寺昌人駐中国大使の就任について、メディアは「危急存亡の時に命令を受けた」と報じた。木寺大使は複雑な日中関係にどう対処するのか?木寺大使が華西都市報の単独インタビューに応じた。

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2013年4月14日、日本の木寺昌人駐中国大使の就任について、メディアは「危急存亡の時に命令を受けた」と報じた。木寺大使は複雑な日中関係にどう対処するのか?王毅(ワン・イー)外相の就任に何を期待するのか?木寺大使が華西都市報の単独インタビューに応じた。

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日本メディアの記者は以前、外務省出身の木寺大使がメディアのインタビューに応じることは少ないと語った。中国に着任後、メディアのレンズに映る木寺大使は厳粛な表情で、笑顔を見せることは少ない。

「記事の中で私の性格を描き出してください」。木寺大使は読者に厳粛以外の別の側面も知ってほしいようだ。

木寺大使はプロの外交官であり、インタビューでも「率直に意見交換」「親しく会見」といった外交辞令を使う習慣がある。記者が鋭い質問を突きつけると質問を綿のようにやわらかく遮り返してくる。インタビュー中に両国の政治・経済の敏感な問題に話が及ぶと、木寺大使は慎重に言葉を選んだ。

両国関係について語り出すと、厳粛な表情になった。両国の経済交流について語る時、その目の表情からは熱望がにじみ出た。パンダについて語る時には目を細めて笑い、身振り手振りをした。

木寺大使の名刺は白黒で「日本国駐中華人民共和国特命全権大使」と印刷してある。日本にいる中国人記者によると、名刺は着任前に用意されたもので、「心はすでに中国に到着しました」と語ったという。木寺大使は1つには日本政府の利益を守るために、もう1つには冷え込んだ日中関係の回復を望んで大使を務めている。

■着任「大使はずっと待ち望んでいた仕事」

記者:駐中国大使を務めることは緊張しますか?

木寺大使:私は緊張することもありますが、わりと楽観的な性格なので、基本的にはリラックスしています。

記者:外務省から大使就任の件について聞いたのはいつですか?その前から心の準備はできていましたか?

木寺大使:大使就任という知らせは、どの時期に聞いたとしても驚いたことでしょう。しかし長年外交官を務めており、国に尽くすことが私の仕事です。責任重大ですが、やはり任命を受け入れました。日本国の大使として、日中友好関係の拡大と発展に全力を尽くすことを決意しました。

記者:「特殊な時期」の駐中国大使として、仕事の重点は何でしょうか?

木寺大使:日本の駐中国大使として、日中友好関係の拡大と発展が私の最重要任務です。現在日中関係には困難が生じていますが、こうした時期であればあるほど、両国は全ての分野で意志疎通を継続、強化し、経済・文化分野の交流を積極的に拡大すべきです。日本大使館は中国各地の日系企業に助力し、日中の経済関係の発展を促すことを望んでいます。

それと同時に、青少年交流や文化活動といった民間交流の支援にも力を入れたいと考えています。今年3月に私たちは本当の日本を見てもらうため、中国各地の大学生約80名と若手の中国メディア関係者約90名を日本に招待しました。外交の仕事に魔法や奇跡はなく、地に足のついた努力が極めて重要だと私は考えます。可能な限り多く直接会って話をするとともに、日中間の文化交流を促進し、両国民の相互理解を深めたいと思います。

記者:どのような方法で両国間の関係を改善しますか?

木寺大使:人と人との交流が極めて重要です。より多くの中国の友人たちに本当の日本を理解してもらい、日中両国が調和のとれた付き合いをすることは、日中両国民にとってプラスです。この点をさらに多くの人に説明したいと思っています。青少年交流の促進が極めて重要です。未来を担う若者同士の相互理解も大変重要です。私としては初めて大使に就任し、外交の第一線で働くことに喜びを感じています。外交官の主たる仕事は海外におもむき、現地の政府や市民と交流することです。現在の仕事は私が外務省入省以来ずっと待ち望んでいた仕事であり、本来の仕事に戻ったような気がしています。

■期待「王毅外相と共に日中関係を改善したい」

記者:駐中国大使の人選は曲折を経ました。就任にあたりプレッシャーは感じましたか?

木寺大使:現在日中関係は依然困難な状況にあります。2012年12月25日に駐中国大使として北京に着任した際、重任を担っていることを感じました。この気持ちは現在も少しも変わっていません。私は中国の専門家ではありませんが、外務省の仕事の中で多くの経歴を積み、中国に来る前は外務省官房長、内閣官房副長官補を務めました。こうした仕事は私に良い外交経験をもたらしました。

日本と同様、中国は縁を重視する国です。1986年に私は中華全国青年連合会の招待で訪中し、北京、西安上海、四川などに行きました。

北京に着任した際、当時私たちの通訳兼ガイドをしてくれた中華全国青年連合会の幹部と20年ぶりに再会し、旧交を温めました。

この他、外務省中国課首席事務官を務めていた21年前、唐家[王旋](タン・ジアシュエン)中日友好協会会長、王毅氏(外相)、武大偉(ウー・ダーウェイ)中国外交部朝鮮半島問題特別代表、程永華(チョン・ヨンホア)駐日大使らと共に仕事をしました。彼らは今も中国外交の第一線で活躍しています。こうした中国の友人との縁が現在まで続いていることを嬉しく思います。今後の仕事の中でも、みなとの縁を重んじます。

記者:王毅氏が外相に選出された後、連絡は取られましたか?

木寺大使:4月3日に中国の国家指導者が人民大会堂で各国の駐中国大使を接見した際、他の駐中国大使と共に王毅外相と会いました。ボアオ・アジアフォーラムに参加した際にも、王毅外相と話を交す機会が数回ありました。私は王毅外相にお祝いの言葉を述べ、日中関係のために引き続き共に努力する考えで一致しました。

記者:王毅氏の外相就任は日中関係にどのような進展をもたらすとお考えですか?

木寺大使:約20年前に私は王毅外相と付き合いがありました。現在も王毅外相の取り組みの成功をとりわけ望んでいます。王毅外相は駐日大使を務めたことがあり、日本を大変理解しており、日本の友人も多くいます。私を含め、そうした日本の友人はみな王毅外相と共に、1日も早く日中関係を改善することを期待しています。王毅外相は日中関係の発展に貢献してきた人の1人であり、私個人として大変尊敬しています。

■四川の印象「大学の講義をさぼりパンダを見に行った」「成都の火鍋が好き」

記者:四川についてはご存じですか?

木寺大使:1986年に中華全国青年連合会の招待で訪中した際、成都と楽山に行きました。当時の四川の美しい風景は今も忘れられません。20年以上が経ち、これらの都市の様子は大きく変化したことでしょう。また四川省に行ってみたいです。本場の四川料理も味わいたい。

四川のパンダはとりわけ有名で、楽山や峨眉山も日本では有名です。パンダと言えば、1972年に中国から日本に初めてパンダが来た際、私はまだ大学3年生でしたが、講義をさぼって上野動物園へ見に行きました。当時は2頭とも眠っていて、微動だにしませんでした。元気よく動き回っているパンダをじかに見たことは残念ながらまだありません。

大学で学んだ多くの知識は忘れてしまいましたが、カンカン、ランランというあのパンダたちの名前は覚えています。

日本の子どもたちもパンダがとりわけ好きです。2011年5月に中国の温家宝(ウェン・ジアバオ)総理は日中韓サミットに出席した際、東日本大震災の被災地である福島県を訪れ、子どもたちにパンダのぬいぐるみをプレゼントしましたが、とても人気でした。

四川省が日本で有名なもう1つの理由は四川料理です。日本には四川料理店が多くあり、麻婆豆腐が好きな日本人も多くて、今では麻婆ラーメンも発案されています。あなたも試されてみてはいかがですか。武侯祠や九寨溝も評判です。日本では三国志のコンピュータゲームも流行っています。

記者:成都の火鍋を召し上がったことはありますか?

木寺大使:火鍋は日本でもとても人気です。私は初めて食べた時はとても辛いと感じましたが、2回目には大丈夫でした。これまで食べた中で一番満足した火鍋は北京の四川料理レストランのものです。

記者:成都には日本の企業が多くあります。トヨタ自動車、イトーヨーカ堂、セブンイレブンといった日系企業は成都で良い発展を遂げました。日系企業の四川への投資にどのような期待をお持ちですか?

木寺大使:南西地域の経済は近年2桁成長を示し、中国の新たな発展の中心になっています。四川には今名前を挙げられた企業以外に、伊勢丹、コベルコ建機、NEC、富士通、三菱東京UFJ銀行等々日系企業が計300社以上あります。重慶市の日系企業も160社以上に達しました。現在多くの日本企業が社会公益活動を通じて地元社会に貢献すべく努力しています。これは非常に重要なことだと思います。例えば障害者に対する支援、大学生への学費給付、小学校への書籍寄贈等々です。日本企業が今後も地元と共に発展し、地元の経済と社会にとって不可欠な企業となり、地域の発展に貢献することを期待しています。四川省や重慶市など中国南西地域が日系企業の投資を一層促進するために良好な環境を整えることを希望します。在中国日本国大使館と在重慶日本国総領事館も必要な支援を行います。

■日中の経済関係の深化を希望

記者:この前安倍首相は中国の指導者との会談を望むと発言し、公明党山口那津男代表も訪中しました。これは中国側にどのようなメッセージを発したとお考えですか?

木寺大使:日本政府は一貫して中国上層部との対話を重視しています。私は日本国の駐中国大使として、双方の上層部の交流のできるだけ早い実現を望んでいます。日中は近隣国で、中国は世界第2の経済大国、日本は世界第3の経済大国です。日中両国間の経済関係は非常に広く、しかも深く厚い。日中両国の上層部が頻繁に意見を交換することは大変重要です。

記者:釣魚島(日本名・尖閣諸島)事件は中国と日本の経済にどれほどの影響を与えたとお考えですか?

木寺大使:影響は大きい。どの分野にも影響があるが、多少回復した分野もあります。私はいつも言うのですが、日中両国はたとえ政治面で困難があっても、経済、文化、人的交流を積極的に推し進めなければなりません。そうしてこそ日中両国の経済と国民にとってプラスとなります。

記者:ここ1年、日本を訪れる中国人観光客が減り続けていることを、どう受け止めていらっしゃいますか?

木寺大使:2012年9月以降、日本を訪れる中国人観光客が減ったことはとても残念です。中国人観光客は日本にとって大変大切ですし、日本人観光客も中国にとって大切です。現在の日本の観光庁長官は私の古くからの友人で、彼も現在の状況の改善をとても望んでいます。

■北京での生活「中国の生活光景を観察するのが好き」

記者:ご家庭のことについて少しお話しいただけますか?

木寺大使:娘が1人います。私たちと一緒に北京へは来ず、まだ東京で大学に通っています。就任から間もない正月に北京へ来たので、家族で故宮、円明園、天壇公園を見に行きました。初めて中国に来た娘に、北京は深い印象を残しました。

妻は1984年に中華全国青年連合会の招待で中国を訪問し、中国に対してずっと特別関心を持ってきました。今回妻は私と共に北京へ来ました。私の仕事をとても支持してくれています。

記者:お祖父様はかつて大連で働いたことがあり、お母様も大連でお生まれになったそうですが、中国に関する話をお2人からお聞きになったことはありますか?

木寺大使:私の母方の祖父と母は1941年に大連から日本に戻ってきました。祖父は私が生まれる前にすでに亡くなっていました。私は母から大連に関することをたくさん聞きました。当時の事を話す時、母は時に目に涙を浮かべます。大連にたくさんの思い出があるのです。もし機会があれば、私も大連に行って見てみたいと思います。

記者:大使はゴルフがお好きと存じ上げています。ご自身の性格をどう評価されますか?

木寺大使:よくご存じで、ありがとうございます。自分の性格を評価するのは難しいのですが、様々な人と会って交流するのが好きです。友人からは和やかで落ち着いているとしばしば言われます。ゴルフ以外に、仕事以外の時間は妻と一緒に大使館の周りを散歩するのが好きです。中国の友人たちの生活光景を仔細に観察したい。これは私の仕事にとってとても必要なことです。

■木寺大使の経歴

1952年に東京で生まれる。東京大学法学部を卒業し、1976年に外務省に入省。アフリカ審議官、国際協力局長などを経て、2012年9月に内閣官房副長官補に就任。2012年10月、日本政府は西宮伸一氏の後任として木寺氏を駐中国大使に任命した。(提供/人民網日本語版・翻訳/NA・編集/内山

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