安倍氏の2つの顔、本物はどちらか―中国国際問題専門家

Record China    2013年6月7日(金) 21時6分

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5日、人民日報海外版コラム・望海楼は、国際問題専門家の辛聞氏が日本の安倍晋三首相について書いた文章を掲載した。資料写真。

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2013年6月5日、人民日報海外版コラム・望海楼は、国際問題専門家の辛聞(シン・ウェン)氏が日本の安倍晋三首相について書いた文章を掲載した。以下はその内容。

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「アジアが最も望まないのは危険なナショナリズムの新内閣だ」。日本の安倍晋三首相が2012年末に閣僚名簿を発表した際、エコノミスト誌はこのような評価を下した。そして今、歴史や憲法改正など一連の問題における安倍氏の一連の挑発的発言がこの指摘を裏付け、国際社会の懸念と警戒を引き起こしている。

安倍氏は一体何を考えているのか?

米誌フォーリン・アフェアーズは安倍氏にインタビューした際、安倍氏は別々の2人の人間に見える時があると指摘。1人は保守的なナショナリストの安倍氏で、歴史教科書の改訂を支持し、「慰安婦」問題や極東国際軍事裁判の合法性に疑問を呈する。もう1人は実務的な安倍氏で、中韓両国との接触、協力を主張する。ここ数週間、この2人の安倍氏が世界の人々の面前に同時に現れた。国会答弁で第2次大戦中の日本の侵略行為について弁解したかと思えば、その1週間後には日本の行為が関係国に苦痛を与えたことを認めた。一体どちらが本当の安倍氏なのか。この2人の安倍氏の切り替えを人々はどう解釈すべきなのか。

「メディアは発言の一部を切り取って利用する」「『侵略』の定義を決めるのは私の仕事ではなく、歴史学者たちがすべきことだ」。安倍氏はこのように回答し、歴史について最終結論を下す重荷を学術問題と見なして、歴史学者に放り投げている。だが隣国および同盟国にとっては、歴史は昨日の教訓、今日の鑑であり、正しく向き合わねばならないものだ。一見揺れて定まらず、妄言を繰り返す安倍氏だが、当初から自らに対して明確な位置づけをしていたようだ。安倍氏はかつて「私は祖父の岸信介から政治的DNAをより多く受け継いでいる」と語った。

「昭和の妖怪」と称された岸信介は戦後の日本を形作った「超重要人物」だ。旧日本軍が満州国傀儡政権を樹立した後、岸信介は「中核的人物」として1936年に傀儡政権に派遣され、産業部次長や総務庁次長を歴任した。1941年、日本は太平洋戦争の宣戦詔書に署名した。1945年に日本が敗戦すると、岸はA級戦犯容疑で収監され、3年後に釈放された。釈放から10年後、かつての戦犯は首相に選出され、日本の半独立・半占領状態を憲法改正によって変えることに尽力した。「私は獄中で新憲法はだめだと思い、憲法改正論者になった」。彼の目標は一貫して明確だった。1978年に岸が死去すると日本メディアは「A級戦犯に名指しされた岸伸介が首相になったこと、これが日本人が戦争責任を明確に追及できない原因だと少なからぬ人が考えている」と指摘した。

安倍一族にとって岸のA級戦犯容疑者としての立場、および日本の戦争犯罪に対する国際社会の認定はずっと気がかりで、これは安倍氏にまで引き継がれている。彼は祖父の遺志を受け継ぎ、憲法を改正しなければ日本は敗戦国の立場から抜け出して「普通の国」になることができないと堅く考えている。また、祖父について「日本の未来を考えたまじめな政治家であり、巨大な反対勢力を前に、その立場は非常に揺るぎないものだった」と称賛している。祖父と同様、安倍氏の目標も一貫して明確だ。

安倍氏は6年前に初めて首相に就任した。当時の安倍氏の一連のタカ派的手法は記憶に新しいが、先人の遺志を実現する歩みを止めることはなかった。安倍氏の在任中に防衛庁が防衛省に格上げされた。また、憲法改正手続きについて定めた国民投票法の衆参両院での可決を押し進め、憲法改正手続きに正式な法的根拠を与えた。当時安倍氏は「任期内の憲法改正を検討する」方針を打ち出したが、自民党の経済政策がふるわず、選挙結果が良くなかったため、在任わずか1年で「健康上の理由」で辞任することとなった。

6年後の今日、安倍氏の偏屈な精神は一段と明らかになったようだ。強者になろうとし、強者のみに従い、懺悔を拒絶し、歴史を反省せず、民意をそそのかしすらする。安倍氏の支持率の基礎となっているのは、見栄えのする経済統計だ。過去10年間の日本政界は、経済改善を約束し、かつ約束を終始履行する指導者なら誰でも市民は喜んで支持することを示している。安倍氏は民衆の支持を誤読すべきではない。安倍氏は今、冒険を犯して危険な種を植えている。安倍氏の再度の右傾は、日本経済にとって最大の危機となるかもしれない。

歴史を前に、安倍氏は無原則的に日本の「縄を解く」ことを一心に望み、強権と武力を崇め尊んでいる。だが最も簡単で、歴史によって繰り返し証明された一点をまさに忘れている。つまり「道を得る者は助け多く、道を失う者は助け寡し。助け寡きの至りは親戚も之に畔(そむ)き、助け多きの至りは天下も之に順(したが)う」である。(提供/人民網日本語版・翻訳/NA・編集/内山

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