<羅針盤>アフガンの弱者に命を捧げた中村医師の偉業に感動=日本の生きる道示す―立石信雄オムロン元会長

立石信雄    2019年12月15日(日) 7時30分

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アフガニスタンで30年以上ににわたり貧者、弱者のための医療や開拓・民生支援の活動を続けてきた中村哲・ペシャワール会現地代表が凶弾に倒れた。多くの人たちが衝撃と深い悲しみを受けた。

アフガニスタンで30年以上ににわたり貧者、弱者のための医療や開拓・民生支援の活動を続けてきた中村哲・ペシャワール会現地代表が凶弾に倒れた。多くの人たちが衝撃と深い悲しみを受けたが、私もその一人だ。

中村医師は多くの感動的な言葉を残したが、特に3年前に日本記者クラブで会見した際の発言は感動的だったという。

アフガ二スタンは日本にとって最もなじみの薄い世界だ。中国を飛び越えて西へ6000キロ。

標高6000メートル以上のヒンズークシ山脈に覆われている。人口は約2000万人で、自給自足の農業で暮らしている。降雨量は日本の20分の1。山脈の雪が少しずつ解け命をつないできた。かつて100%近い食料自給率を誇る農業国だったが、現在は壊滅状態になっている。

中央集権とは対極の緩やかな首長制で、近代国家とは程遠い。山が高く谷が深い。民族の十字路と言われるほどの多民族国家で、欧米、日本、中国、韓国のような近代国家ではない。警察組織も全土を把握しておらず、日本の戦国時代に似ているという。

中村医師によると、国家の代わりになるのがイスラム共同体。国民の100%近くが敬虔なイスラム教徒で、法治国家の体制がない中で、もめごとはモスクで話し合われる。貧富の差がはなはだしく、金持ちは海外で高額治療を受けられるが、99%の人が数十円程度のお金がなくて死んでいく。

アフガン戦争の真っただ中に、ソ連軍や米欧軍が侵攻した。戦死者は200万人に上り、600万人が難民になった。ありとあらゆる感染症が蔓延した。診療所を積極的に開設し、あらゆる治療をするようにした。片道1週間かかる高地から来る患者も多く、途中で息絶える子どももいた。

1998年ごろ、ゲリラグループが対立し、内戦状態になった。中村さんらは患者をほったらかして、逃げるわけにはいかない。タリバン政権が誕生した後、2000年に世紀の大干ばつに見舞われた。1200万人が被害を受け、うち四百万人が飢餓状態で、百万人が餓死寸前だった。次々に村が消えた。水がなく食べ物も取れない子どもが栄養失調で死んでいった。薬では飢えや乾きは直せない。

2001年9月11日、ニューヨーク同時多発テロが発生。翌日から米軍による報復爆撃が始まった。空爆でテロリストを掃討することは難しい。タリバン政権と言っても、普通の市民は普通に暮らしていた。世界の大勢は米国の空爆を支持したが、中村医師たちは反対し、空爆下で食料を配った。米国はじめ世界中がヒステリック(感情的)になり、テレビの解説者は野球サッカーのゲームを見るように評論した。米国は人道的な「ピンポイント攻撃」なのでテロリストだけを攻撃すると言っていたが、実際は無差別爆撃だった。真っ先に子どもや女性、老人が犠牲になった。食糧を必要な人に配給できるか迷ったが、ボランティアが頑張ってくれた。

米軍の進軍とともにケシが栽培され、アフガンは不名誉な麻薬大国になった。生活に困窮した女性が外国人相手に売春し、権力者に取り入る人間が得をするようになった。生活に困れば、米軍や反政府勢力の傭兵になるという。

豊かだった村が数年で砂漠化したため、中村医師たちペシャワール会は、2003年に緑の大地計画をスタートさせ、用水路をつくった。最初は電気も機械もないので一般的な機器は使えず、ツルハシとシャベルだけの手作業だった。2010年に完成した用水路は約1万6000へクタールを潤し、約60万人の生活を支える。急流河川なので農業は集約的で日本に近い。日本で完成した技術が役に立つ。

その上で、中村さんは「すべて武力だけでは解決しない。人々が和解し人と自然がいかに折り合っていくのかが今後の課題となる。現地住民の立場に立ち、現地の文化や価値観を尊重することが大切だ。治安の問題は国によって違う。日本人はイスラム教とかかわりがないという先入観で動くリスクが大きい。日本だけは西洋対イスラム教という対立の構図の中に呑みこまれないでほしい。個人ではどうしようもないことだが、国家が配慮することが重要だ」と訴えた。

アフガンでは米軍とタリバンなど反政府武装勢力との戦闘が継続。2018年だけでも4000人近い民間人が犠牲になったという。凶弾に襲われた後の12月4日付けで発行された「ペシャワール会」会報で、中村医師は「依然として『テロとの戦い』と拳を振り上げ、『経済力さえつけば』と札束が舞う世界は、砂漠以上に危険で面妖なものに映る」と記している。

現地の住民の立場に立ち、その文化や価値観を尊重することが大切だとし、日本は「西洋対イスラム教」の対立に呑まれるなと訴え、「米軍による報復無差別爆撃」や「自衛隊の給油支援」にノーを突き付けていたという。中村医師のノーベル平和賞にも匹敵する偉業を忘れてはならないと思う。

<羅針盤篇51>

■筆者プロフィール:立石信雄

1959年立石電機販売に入社。1965年立石電機(現オムロン株式会社)取締役。1995年代表取締役会長。2003年相談役。 日本経団連・国際労働委員長、海外事業活動関連協議会(CBCC)会長など歴任。「マネジメントのノーベル賞」といわれるSAM(Society for Advancement of Management)『The Taylor Key Award』受賞。同志社大名誉文化博士。中国・北京大、南開大、上海交通大、復旦大などの顧問教授や顧問を務めている。SAM(日本経営近代化協会)名誉会長。公益財団法人・藤原歌劇団・日本オペラ振興会常務理事。エッセイスト。

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