餃子の街・宇都宮で「餃子のビーナス」像に対面―中国メディア

Record China    2013年9月26日(木) 20時23分

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25日、JR宇都宮の駅前に、この街のシンボルとなっている「餃子像」が立っている。高さ1.6m、重さ1.7トンの石像は市の特産である大谷石を削りだしたものだ。

2013年9月25日、JR宇都宮の駅前に、この街のシンボルとなっている「餃子像」が立っている。環球網が伝えた。

高さ1.6m、重さ1.7トンの石像は市の特産である大谷石を削りだしたものだ。石像の形はまさに妙趣に富んでおり、ビーナスの女神は餃子の皮で包まれている。このため、人々からは「餃子のビーナス」という通称で呼ばれている。この石像は、市の経済振興の一環として、宇都宮市が餃子の街であることを特化するために1994年に立てられた。

日本の報道によると、実は宇都宮市が「餃子の街」というイメージを打ち立てたのはここ20年程のことだという。宇都宮の餃子の名声は今では広く知られ、宇都宮市の商業観光費や宣伝費をまかなっている。1990年当時、宇都宮市の広報担当だった塚田哲夫さん(57歳)は宇都宮独自の観光資源を見つけ出すことに苦心していた。ある日、雑誌を読んでいると、宇都宮市の餃子消費量が全国一位であることを偶然知り、餃子がこの街に活力をもたらすことができるかもしれないと思い立った。

当時、宇都宮市役所でこの意見に同意する人は非常にわずかではあったが、塚田さんと意見を共にする同僚たちは一連の行動を展開していった。塚田さんたちは200人の市民に餃子を何回食べるか聞き取り調査を行い、さらにラーメンで発展した地域の事例を研究した。 

2年目、観光協会は初めて「餃子MAP」を制作し、市内の餃子店23店舗を紹介した。市役所の職員たちもテレビ局などで積極的にPRを行い、芸能人たちが宇都宮市内で餃子を食べるバラエティ番組なども制作・放送した。1998年、商工会議所は市の中心部に実験店舗を設立し、餃子店13件を一カ所に集めて食べられる場所を提供した。そして、これが今日のように旅行者たちが餃子巡礼をしにやってくる餃子の街の始まりとなった。

■老舗の歴史と変遷

30万人の人口を持つ宇都宮市には、大小様々な規模の餃子店が約300店舗存在している。うち、最も歴史があるのは1958年に創立した餃子チェーン店「宇都宮みんみん」だ。伊藤伸夫社長は宇都宮餃子(ギョーザ)会の会長を務めており、餃子とのつきあいはすでに半世紀を超える。長期に渡って餃子を焼いて来たため、フライパンを持つ手の指は変形し、お皿を運ぶ手も同様に変形している。

水餃子を好む中国人の飲食習慣とは異なり、日本人は焼き餃子を好む。黄金色に焼き上がり、美味しい汁をたっぷりと含んだみんみんの餃子は、多くの人から愛されている。しかし、1960年代にパンやハンバーガーが日本に進出した頃は、餃子の売り上げは大きな打撃を受け、苦しい経営を余儀なくされたこともある。

顧客を取り戻すために伊藤氏は経営方針を一新、夜間から昼間へと営業の重点を変更し、飲食をメインにしたメニューを出すことにした。さらに、学生層の顧客を引き止めるために、餃子にご飯の主食を添えた。「ご飯を提供する餃子店は、恐らく我々が初めてだったと思う」と伊藤氏は語る。

餃子にご飯を添える食事スタイルは徐々に普及し始め、それにつれて餃子の皮は薄くなり、餃子の餡もより豊富になっていった。これにより、もともと主食だった餃子は、ご飯の副菜へと変わったのだ。(提供/人民網日本語版・翻訳/MZ・編集/武藤)

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