八牧浩行 2014年3月27日(木) 9時13分
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ノーベル賞候補に毎年ノミネートされている藤嶋昭・東京理科大学長はRecord Chinaのインタビューに応じ、豊富な研究実績や教え子の留学生との交流から、自然界の驚異、教育・大学問題まで幅広く語った。
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ノーベル賞候補に毎年ノミネートされている藤嶋昭・東京理科大学長はRecord Chinaのインタビューに応じ、豊富な研究実績や教え子の留学生との交流から、自然界の驚異、教育・大学問題まで幅広く語った。この中で、「アインシュタインらのノーベル賞級の発明は、ワイワイ・ガヤガヤ切磋琢磨する研究室から生まれた。雰囲気がよかったから感動を呼び、大きな歴史的な発見が生まれた」と指摘。1979年に初めて訪中して以来、いち早く留学生の受け入れと養成・助成を通じ、日中の学術・研究の交流に取り組んだという。東大研究室時代に教えた留学生の多くが帰国後中国科学界をリード。今でも親密な行き来が続いており、今こそこうした交流が日中の友好促進に役立つとの考えを熱く語った。
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(聞き手=八牧浩行Record China主筆)
――藤嶋先生は東京大学大学院に在学中の1967年春、水溶液中の酸化チタン電極に強い光を当てたところ、酸化チタン表面で光触媒反応が起きることを発見。業績が認められ、2004年に日本国際賞や日本学士院賞を受賞し、毎年ノーベル化学賞の候補にノミネートされています。酸化チタンは表面についた汚れや悪臭の原因となる有機物を二酸化炭素と水に分解する効果を応用し、ビルの外装や駅の屋根、トイレの便器などに広く応用されていますね。また、中国人留学生も多く育てられたとか。
私は中国工学院(日本学士院に相当)の院士です。北京の人民大会堂で院士の称号を中国のトップからいただきました。日本人としては2人目でした。私が最初に中国を訪問したのは1979年です。その前の1977年に中国から初めての留学生6人が東京大学工学部のそのうち1人が私の研究室に来て2年間在籍しました。黎甜階君です。その後中国の優秀な方が日本政府の国費留学生として来てくれることになりました。
もちろん私費留学生も来てくれましたが、そのうちの一人が姚建年君で、東大の博士号を取って帰国しました。現在、中国科学院の院士でもある彼は科学技術基金委員会の大臣格であるとともに中国化学会会長務めています。同じく東大研究室の教え子である劉忠範君(現在51歳)は北京大学教授・院士です。中国で最近、学術分野ごとに巨額の資金が付く制度ができた時、彼は化学を代表して一人選ばれました。
江雷君(現在46歳)は、昨年12月に、ここ(東京理科大学葛飾キャンパス)に来ていました。中国の化学研究所の教授でもありますが、北京の航天大学の材料学部長・院士です。新しい機能材料の開発をやっています。このように私の研究室の中国人留学生は皆中国に戻って業績を挙げ、活躍しています。院士ばかりで、うれしいことです。
――大事なことですね。先生が教えられた留学生が中国の化学会の礎を築かれたのですね。
皆今でも40歳代から50歳代で若いですよ 国費留学生として20歳代で来日し、みな熱心で優秀でした。掲載されるのが難しい「ネイチャー」(英国の世界一権威ある科学雑誌)にも皆論文を書きました。劉忠範君も姚建年君もネイチャーに論文を出し、人民日報にも掲載され、話題になりました。
――私も通信社のロンドン特派員時代にネイチャーを仕事で読みました。最初に翻訳して報道するのは通信社の役目です。とても難しく、どう訳したらいいか分からなくて苦労した覚えがあります。中国はノーベル賞で欧米や日本に大きく先行されているから何とかしたいと考えているようですね。
劉忠範君が31歳の時に北京大に戻しました。戻る前、最初は講師でということでしたが、6月に助教授で戻りました。ちょうどその時、若手を教授に登用する制度ができたようで、同年9月に教授に抜擢されました。私と私のところの橋本和仁助教授で彼を応援しようと、日中シンポジウムを北京でスタートさせました。
21年前のことです。それが毎年続いています。今年は20回目にあたります。2012年は尖閣問題が発生しで開催できませんでした。当初11月に成都での開催を計画していましたが、結局、開けませんでした。江雷君が世話役となりましたが、彼は航空宇宙開発を推進する航天大学所属という事情や、成都では反日デモが最も荒れたため取り止めになってしまったのです。しかし翌年の13年9月にこのシンポジウムを北京で再開しました。今年(14年)は成都でやろうということになっています。
中国化学会会長の姚建年君がいつもリードしてくれています。教え子の多くが中国で活躍しており、誇らしく思います。こういう時代環境であるからこそ日中の科学・技術・教育交流が大切だと思います。
――中国では科学技術で追いつこうとの熱意が凄いですね。ノーベル賞受賞者を出そうという迫力も強く、このままでは将来、日本を追い越すかもしれませんね。
(冊子を示しながら)これは教え子たち2人が最近学界で発表した研究論文です。論文の著者欄に私の名を入れたいと言うことで3人の連名になりました。彼らの業績なのにね。
――藤嶋先生に薫陶を受けたおかげだと感謝しているからでしょう。このような濃密な師弟関係は貴重ですね。
われわれの研究で何が面白いかといえば、例えば江雷君のネイチャー論文「クモの巣、クモは凄い」は、尻から糸を出し、本来は飛べないのに風を使って飛ぶ。横糸、縦糸をうまくデザインして糸に絡まった虫を目がけて素早く動き捕まえます。もちろんクモ自身は糸に絡まないようになっています。真夏には糸が乾燥してカラカラになれば、虫が捕まらないと考えますが、糸をよく見ると、水がうまく集まるような構造になってネバネバを再生しています。ネイチャーはこの論文に驚きびっくりして表紙に採用しました。
サボテンは水分のない乾燥地帯の砂漠で生き延びていますが、江雷君は空気中の水分をとっている棘(とげ)の秘密を明らかにしています。これもネイチャー論文となりました。この原理を応用すれば、水不足で困っている砂漠の人々に利用してもらうことができます。
われわれは自然から学ぶことができます。湿度が高くても眼が曇らず、蚊をはじめとする昆虫はよく見えます。これらは私が研究している光触媒の働きと似た作用です。既に実用化されている「雨滴を粒にせず曇らない自動車サイドミラー」は光触媒技術の応用です。
――サイドミラーまで先生が発明した光触媒技術が活用されているのですね。
自然に学ぶといえば、ハスの葉は大きいのに雨が降ると表面がすぐきれいになりますし、稲(イネ)も田んぼの泥の中にあるのに常にきれいです。雨が降ると泥がスーと流れ落ちます。水面に浮くアメンボも足で表面張力足を利用しています。やっぱり自然界は凄いです。
――ご体験に基づいた興味深いお話をお聞かせいただき、私も「目からうろこ」状態です。
例えば中国の筆がどうできているか 特別な動物の日本で言う「いたち」の仲間、中でも若いいたちの毛で作った筆を使用しているそうです。紙も凄いし特別ですね。中国の紙は繊維も長く何回も漉(す)きますから下に染みないわけですね。
――先日中国の大家の展覧会を取材し報道しましたが、迫力がありました。北京五輪で誇示しましたが、中国人は紙や火薬、印刷術などを発明し、これらが西洋や日本に伝来したと主張しています。
4000年の歴史がありますからね。全部つながっていますよ。そして次々に新しいものが出てきます。
―一中国は一人っ子政策の中で、中産階級がどんどん増え、親は教育熱心です。アメリカや欧州を中心に多くの学生を留学させています。中国は改革開放路線で貧困からは数億人規模で救われましたが、家族ぐるみで老人の面倒を見る社会体制が崩壊し、年金、介護などは大変ですね。大気汚染もひどく課題が山積しています。
高齢化社会でお墓も大変のようですね。石炭排ガス汚染などは光触媒技術を応用すれば解決できますよ。
――先生は科学技術振興機構中国総合研究センターのセンター長を務められましたね。
私は2代目です。その後は前の東大総長の吉川弘之さんがやりました。今は元東大総長の有馬朗人さんが務めています。このセンターは日中両国の科学技術分野の交流を通じて、相互理解を促進するためのプラットフォームを構築することを目的に2006年に設立されたのですね。
劉忠範君は経歴や業績などを詳細に記録した冊子をいつも送ってくれます。これが彼自身の歴史そのものです。
――凄い方々を弟子として育成されたのですね。
アインシュタイン、キューリーらのノーベル賞級の研究は、ワイワイ・ガヤガヤ切磋琢磨する研究室から生まれたのです。雰囲気がよかったから感動を呼び、大きな歴史的な発見が生まれたのです。
――雰囲気がよければ感動につながるのですね。
皆がいい雰囲気の中で、寝食を惜しんで交流し吸収しようとすれば実績が上がります。何事も交流が大事です。実が結実すれば、それがさらにいい大きな実を生み出します。
――先生の教えがこういうことで花開くのですね。「天寿を全うするための科学技術」という本もお書きになっておられる「物華天宝」にとつながる話ですね。
「物華天宝、人傑地霊」という言葉は中国では有名で、「豊かな産物は天の恵みであり、優れた人間はその土地の霊気が育む」という意味です。私の解釈は違っていて、物華天宝の物華は科学技術の成果。これが天に隠されている宝だと解釈しています。科学者は原理を探し出して、世界、人類に役立てる。そして、そういった成果を導き出せる人間を養うのは、知的で闊達な雰囲気ではないでしょうか。
<インタビュー>米中首脳会談を繋いだ「汚れないネクタイ」=光触媒が開花―藤嶋昭・東京理科大学長(中)
<インタビュー>「坊ちゃん」時代、卒業は1%以下=学生を厳しく鍛える―藤嶋昭・東京理科大学長(下)
に続く
<藤嶋昭(ふじしま・あきら)氏プロフィール>
東京大学特別栄誉教授。上海交通大学など中国10大学の名誉教授。66年横浜国立大学工学部卒業、71年東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。東京大学工学部講師、同大学工学部助教授、同大学工学部教授、同大学大学院工学系研究科教授。03年4月より財団法人 神奈川科学技術アカデミー理事長、08年科学技術振興機構・中国総合研究センター長。2010年1月より東京理科大学学長。日本化学会賞、紫綬褒章、日本国際賞、日本学士院賞を受賞。2010年文化功労者。
■筆者プロフィール:八牧浩行
1971年時事通信社入社。 編集局経済部記者、ロンドン特派員、経済部長、常務取締役編集局長等を歴任。この間、財界、大蔵省、日銀キャップを務めたほか、欧州、米国、アフリカ、中東、アジア諸国を取材。英国・サッチャー首相、中国・李鵬首相をはじめ多くの首脳と会見。東京都日中友好協会特任顧問。時事総合研究所客員研究員。著・共著に「中国危機ー巨大化するチャイナリスクに備えよ」「寡占支配」「外国為替ハンドブック」など。趣味はマラソン(フルマラソン12回完走=東京マラソン4回)、ヴァイオリン演奏。
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