なでしこジャパンとの比較に見る、中国スポーツ界の歪んだ実情―中国メディア

Record China    2014年1月25日(土) 22時1分

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25日、荊楚網は、中国スポーツのあり方に関する記事を掲載した。写真は11年8月、ロンドン五輪アジア最終予選の対タイ戦に先立ち、開かれた公式記者会見に出席した佐々木監督と澤穂希選手。

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2014年1月25日、荊楚網は、中国スポーツのあり方に関する記事を掲載した。以下はその概要。

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中国のプロテニスプレーヤー・李娜(リー・ナー)の口はまさに災いの元だ。李娜はインディアナポリスで行われた試合後、「私は1人のテニスプレーヤーにすぎない。ここに試合をしに来ているのは、祖国のためではない。本当のことを言えば多くの人が私を恨むだろうが、そんなことは関係ない」と発言した。

実際は、多くのテニスファンが彼女のこのようなサバサバした性格に慣れているが、このような発言はやはり中国のネット上で激しい論争を巻き起こす。しかし、よく考えれば李娜の発言は何の問題もない。なぜなら彼女は個人でテニスの大会に参加していたのであって、国を代表して五輪や世界大会に出ていたのではないからだ。彼女の言葉は、彼女が“国を愛していない”ということを意味するわけではない。

中国スポーツは長期にわたり、“国や人民を代表”してきたことにより、巨大なプレッシャーを選手たちに与えてきた。最近では、2010年冬季五輪で金メダルを獲得した選手が、「国に感謝しなかった」との理由で国家体育総局から批判を浴びた。選手は試合以外にもさまざまなことを考えなければならないのだ。

中国は2008年の北京オリンピックで金メダル数1位となり、「スポーツ大国」のラベルが張られたが、それにそぐわないのは、われわれが選手たちを「国家の英雄」「民族のヒーロー」などと祭り上げるばかりで、十分なサポートができていないことだ。

昨年、女子サッカーのワールドカップでなでしこジャパンの選手たちは「日本のために」「日本国民のために」とは口にしなかったが、彼女たちの優勝は東日本大震災後の日本を勇気づけた。スポーツにはもともと、口に出さずとも自然とわかる意義があり、「国のため」でなければ感動できないものではないのだ。(翻訳・編集/北田

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