日本の双循環改革、経済を牽引するのは内需か外需か?―中国メディア

人民網日本語版    2020年9月9日(水) 6時50分

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最近、中国で「双循環」という言葉がしばしば言及されてきた。実はお隣の日本にも、同じ体験があり、経済構造のモデル転換を苦しみながら進めてきた時期があった。写真は新橋。

最近、中国で「双循環」という言葉がしばしば言及されてきた。実はお隣の日本にも、同じ体験があり、経済構造のモデル転換を苦しみながら進めてきた時期があった。

■日本はなぜ双循環改革を打ち出したか

内需を拡大するとともに、内需を中心としながら国際市場とよりよく協調するというのが、1980年代の日本の経済政策の重点であり、当時のターニングポイントでもあった。

日本が「突然」大なたを振り回して改革を進め戦略的に「転向」させたことには、深い背景がある。

80年代は日本経済に「非常に勢いがあった」時代であり、日本経済が「針のむしろに座るような」時代でもあった。

第二次世界大戦後、日本政府は「経済成長を最優先する」方針を確立し、自国経済の発展を最大の任務とし、米国は冷戦戦略上の必要から、日本の経済発展を積極的に支援した。こうして、日本経済は「奇跡的な成長」を達成した。60-70年代に、日本の国内総生産(GDP)平均成長率は16.9%に達し、総額も世界2位に躍進した。

しかしこのような経済成長は外需への依存と密接に結びついていた。日本の貿易黒字は急速に増加し、80年代には、国際通貨基金(IMF)方式の計算による黒字額が、80年は21億ドル、85年は560億ドル、87年は964億ドルと積み上がっていった。対米黒字は80年は69億ドル、85年は395億ドル、87年は521億ドルだった。増加ペースは極めて速かったといえる。

その頃、日米関係に変化が生じた。それまで米国は、日本経済が発展すれば米国の世界戦略において物資面を補う役割を果たせると考えていたが、今では「米国のお株を奪う」「邪魔者」になっていた。米国は日本のせいで米国の産業が危機に陥ったと非難した。日本の元外相は当時の雰囲気を「戦争のようだった」と振り返る。

そこで日本は国家戦略という観点から「国際化」、「金融市場の開放」、「内需拡大」を基本的な国策として打ち出し、構造改革を強く主張するようになった。

実際には、日本の問題は日米貿易摩擦がこの時期にもたらした抑圧だとばかり考えてはならない。日本自身にも問題がたくさんあったからだ。

70年代後期になると、高度成長を支えきた国際構造が崩壊し始めた。世界的なスタグフレーションが起こり、国際関係が緊迫し、石油戦争が勃発した。日本の造船業、鉄鋼業、アルミ産業、石油加工業などは構造的に不振の産業になった。

当時、日本はまだ構造改革を行っておらず、それよりも経済を活性化し、国債を大量に発行するとともに、独占型大企業の地位をさらに強化した。独占資本は中小の下請け会社の再編や併合を強化して危機を脱出しようとした。その結果、政府債務の危機を招き、中小企業が次々破産に追い込まれ、不安定な就労者が増加した。

改革は弓につがえて矢を放たずにはいられないようなものだった。

■双循環改革、経済を牽引するのは内需か外需か?

双循環による飛躍を遂げた日本は、問題点も確かに多くあるが、それでも中国にとってよいお手本になる。

私たちは、当時の日本と現在の中国と、似ているところがたくさんあることをみなければならない。高度成長の意思、決意、方法にしても、安価な労働力と外需による牽引に依存する過程にしても、ほぼ同じだ。そして高度成長後に直面する成長率鈍化の問題、労働力の問題などは、中国も同じだ。さらに巨額の黒字がもたらす国際貿易摩擦が、米国の最大の債権国になった後で米国との間の火種になったことも、中国には自分のことのようによくわかる。

日米貿易摩擦に関して、さまざまな分析が数多く登場したが、大部分のものは、日本の当時の双循環改革の深層レベルの原因は、外部要因ではなく内部要因にあったということをないがしろにしている。当時の「前川レポート」はほぼ「外敵」に対抗するために制作されたものだったが、それでも「日本の大幅な経済収支の不均衡が続けば、日本の経済運営にとっても、世界経済の協調発展という視点からみても、一種の危機的状況であるとみるべきだ。今日、日本は従来の経済政策と国民の生活スタイルに対し歴史的な転換を行わなければならない時期を迎えている。こうした転換がなければ、日本はこれ以上発展できない」と指摘した。日本の経済専門家の多くはこれを批判し、対外的問題に向き合うことを提起しただけ、特に米国との関係関係改善だけに注目した構造改革は成功しないとの見方を示した。外部の問題を緩和するためだけに、大資本が日本の国土を乱開発したり土地の投機を行ったりするのを認め、企業の海外での事業拡張などを積極的に推進すれば、日本国内の中小企業の生存の基盤が解体し、失業が増加し、地域の不均衡が拡大し深刻化するなどの結果を招き、さらには内需を縮小させることになる。こうした危険を日本の改革プロセスに見ることができる。中国の数年前の発展・改革の過程でもおそらく見られたものだ。

そのため改革は外部の改善ではなく、内部構造を変えることに重点がある。日本の経済構造自体に根ざした内需と外部の矛盾は、国民第一の立場から出発し根本的な改革を行ってはじめて、改革成功の根本的なやり方になる。当時のいくつかの改革措置をみると、外部要因に力を使い過ぎている措置は、往々にして「よい結果」を得られない。

貿易黒字の強制的減少、米ドル安と円高への干渉などは、表面から出発して、問題の解決を図ろうとするもので、結果はどれも古い問題を解決できなかっただけでなく、新しい問題をもたらし将来的な危機ももたらした。一方で財税、土地、人的資源、社会福祉、環境保護、科学技術イノベーション、中小企業など各方面の改革に対しては、マーケットエンティティの活力と市場運営の繁栄を真にもたらすことになった。たとえ「失われた」数十年の後でも、日本の科学技術力と経済力は引き続き世界のトップクラスにあり、今なお強い持続可能な発展の力を備えている。

全体としていえば、日本は「外需牽引型」から「国内と海外の双循環型」へと転換し、こうした改革の経験と教訓を積み上げている。市場の開放、投機行為の抑止、イノベーションの奨励は、日本が双循環を実現する「三種の神器」だといえる。(提供/人民網日本語版・編集/KS)

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