<コラム>在中日本人の僕が中国コロナ統制を受け入れるワケ

大串 富史    2021年2月2日(火) 9時20分

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学校の隣にある僕らの小区の鉄門に掛けられた「通知」。「感染発生予防のため、北大門の通行を禁止します。一律に東門を使うこと」とある。中国ではおしなべて、規制を守らせるための施策というものが徹底している。

恐らく、欧米のハイスクールまたはジュニアハイスクールの歴史の授業の一コマなのだろう。一人の少女がデモクラシー(民主主義)に関する授業で、スピーチをすることになった。スピーチの課題は「人類の統治形態の歴史」である。

だが、その少女の意表を突いた結論に、先生をはじめクラスメートたちは大いに沸き立つ。

その「意表を突いた結論」とは何か。現代人の僕らが知るデモクラシーというのは、実のところ人類の統治形態の史上最高の最終形態ではなく、自由を愛してやまない人類が最終的に辿り着いた末期的な混乱状態なのだという。

一方でこの少女は「自由を愛してやまない」世のただ中にあって、小さい頃から親の「指導と助言」を受け、長じてからもそれることがない。

最近、「中国人がコロナ統制を受け入れる訳(The Economist)| 日本経済新聞」という記事を読んで、このミュージックビデオのことを思い出した。

つまり英国エコノミスト誌によれば、「自由を愛してやまない」欧米人目線で中国を見た時、中国という国は清の時代このかた「感染病については国家の統制が歴史的に深く根付いている」国であるという烙印を押されてしかるべきなのだという。

うーん。まあ、近からず遠からず、なのかもしれない。

というのも最近、学校から突然「(コロナ対策のため)小区(日本の公団の街区のようなもの)の北大門が閉鎖されました。鍵が取り換えられたため学校側も開けることができませんので、明日は(こちらの門を)使えません」というウィーチャットメッセージ(日本のLINEメッセージに相当)が来て、中国人の妻と思わず顔を見合わせた。

僕らの小学校1年生になるハーフの娘が通う小学校は、僕らの住む小区の隣にある。その小区の「北大門」から小学校にまっすぐ行けば200メートル程度で着くのだが、今回指定された東門まで行ってぐるっと回って行ったりすれば1キロメートル前後は歩くことになる。

どうやら中国式の3密回避(特に密集)ということらしいのだが(以前は小区の門の内側で子どもを迎えに来た数十人の父兄たちが待機していた)、門の内側で数十人が待っていたのが門の外側になっただけなので、あまりというかほとんど意味がない。

とはいえすでに決まってしまった。僕が即座に妻に答えて言う。「じゃ明日は早めに出るから」。それに答えて妻が言う、「北の小門が開いてないかどうか、ちょっと見てきてね」。

僕は内心、そりゃ無理だろう、東門から出なさいって言っているんだから開いているはずがない、と思っていた。

この点、僕は中国に来て、これまでさんざん煮え湯を飲まされたため、もう懲りている。

一体何に懲りているのか。中国では、規制を守らせるための施策というものが徹底しているのである。

たとえば少し前まで、学校施設などの前の道路には减速带(減速パネル)が埋め込まれ、ドライバーに無理やり減速させていた。今でも道路の中央線には延々とフェンスが設置され、道交法や周囲のひんしゅくではなく物理的手段によって進路変更が遮られている。

これは何も道路だけの話ではない。ファストフード店内などはもちろん街中のあちこちに監視カメラが設置され、全国規模の巨大な天網系統(天網監控系統つまりネットワーク監視システム)を作り上げている。

だから小区の門も普通であれば監視カメラないしは門衛の人によって守られ、しかも入ったら出られない袋小路な構造になっている小区がほとんどである。つまり中国の小区というのは監視された門をくぐって中に入ると、その門(ともしあれば別の監視された門)以外に出口がない。

僕もこれまで何度となく日本人的な勘に頼って小区を横切り向こう側に出ようとして、何度遮られたことか。

そんなわけだから、もし小区で門が閉められた場合、出入りはほぼ不可能になる。コロナ禍が始まったばかりの時はこれが奏功し、門のところに24時間待機の「受付」を設置するだけで、人の流れをほぼ100%遮断することが可能になった。

それで、その翌日。娘と共に朝早めに出て、娘に言う。「今日は東門からだよ。仕方がない。パパは愛ちゃん(娘の名前)を学校に送ってから、北小門が開いているかどうか見てくるから」。

そしたらなんと、北小門が開いていた。この門の隣には門衛の人の詰め所があることからして、偶然ではなく公認のようである。結果、今のところ通知上では1キロメートルのところを、実質500メートルで済んでいる。

ところで、日本の皆さんは上述のような、中国で「規制を守らせるための施策というものが徹底している」ことをどう思われただろうか。「実質500メートル」のような融通も(時には)利かせてもらえるのだから、別にいいのではなかろうかと僕は思ったりするのだが。

その一方で、先に引用した英国誌には「プライバシー侵害ともいえる中国の新型コロナ対策は、あまりに厳しいため人々は感染をより恐れるようになっており、そのことが対策がより受け入れられていくという好循環を生んでいる」とある。

こちらのお国では基本的にすべてが監視・記録されているから、日本のような高感染率地域でもし仮に感染したなら、何処の何某は何月何日に何処で何を食べましたといった情報までもが公にされ、感染者に接触したと特定された人々は皆即刻検査を受けさせられる。

では、「あなたたち中国の人たちはそれでいいんじゃないでしょうか?」と思ったあなたに質問したい。

もし仮に、上述の「規制を守らせるための施策というものが徹底している」ような状況が日本で生じた場合、あなたはそれを受け入れられるだろうか。見たところ「あまりというかほとんど意味がない」ように思える上からの指示に対してはどうだろう。

「自由を愛してやまない人類が最終的に辿り着いた末期的な混乱状態」が当たり前な現代人の僕らにとって、こうした中国の状況は確かに異質かもしれない。仮にそれが奏功していても、である。

幸い僕らは中国にいるため、そんな「中国コロナ統制」を家族で受け入れ、結果として(今のところ)事なきを得ている。

「事なきを得ている」というのは、コロナ禍でも「まあ」普通の生活を送りつつ、「自由を愛してやまない」人々に同調したがために自由を制限されるということもない、という意味である。日本経済新聞に掲載されたエコノミスト誌の中でも、北京大学第六医院院長で著名な精神科医の陸林教授が言う。「若い人には自分のことだけではなく周りの人のことも考えなさいと忠告したい」。

そして僕としては、僕らのハーフの娘があのミュージックビデオの少女のような「大人」になることを願っている。日本を過度にうらやむことも中国を過度に礼賛することもない、「長じてからも指導と助言からそれることがない大人」へと成長してほしい。

■筆者プロフィール:大串 富史

本業はITなんでも屋なフリーライター。各種メディアでゴーストライターをするかたわら、中国・北京に8年間、中国・青島に3年間滞在。中国人の妻の助けと支えのもと新HSK6級を取得後は、共にネット留学を旨とする「長城中国語」にて中国語また日本語を教えつつ日中中日翻訳にもたずさわる。中国・中国人・中国語学習・中国ビジネスの真相を日本に紹介するコラムを執筆中。

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