<コラム>2度の新型コロナで進む香港の中国化

野上和月    2021年1月31日(日) 10時10分

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香港政府も市民も、2003年にSARS(重症急性呼吸器症候群)が新型コロナウイルスとして流行した当時の苦い経験を生かして奮闘しているが、行動の制限を強いられる日々が続いている。

香港で新型コロナウイルス(COVID-19)の初の感染例が確認されてから丸一年となった1月23日、感染者の累計は1万人を突破した。香港政府も市民も、2003年にSARS(重症急性呼吸器症候群)が新型コロナウイルスとして流行した当時の苦い経験を生かして奮闘しているが、行動の制限を強いられる日々が続いている。そんなこの1年間の香港社会の変化をSARSと合わせて振り返ってみると、2度の新型コロナの流行が「香港の中国化」の転機となる不思議な巡り合わせと、中国政府のしたたかな長期戦略を感じずにはいられない。

香港でSARS後に待っていたのは、急速に中国に依存していく香港経済だった。

SARS発生当時、市民にはすでに香港政府への不満が募っていた。1997年のアジア通貨危機で落ち込んだ経済に有効な刺激策を打てず、保有する不動産の資産価値が購入価格を大きく下回る市民が増えていたからだ。そこに、「原因不明の肺炎」が流行し、社会全体に不安と恐怖が広がる。肺炎が新型のコロナウイルスによるものだとわかるまでに時間がかかり、多くの市民が感染していった。しかも政府の対応は後手後手で、感染が確認された2月から収束宣言する6月までに、感染者1755人、死者299人が出た。感染爆発が起きたマンション価格は大暴落するなど、景気は一段と冷え込み、失業率は8.7%まで悪化した。

この時、経済的な支援の手を差し伸べたのが中国政府だった。中国国民の香港への個人旅行の解禁や、対中ビジネスを行う香港企業に対して優遇措置を打ち出した。観光業が主要産業な香港にとって個人旅行の解禁は、経済をV字回復させただけでなく、その後の香港の街並みを一変させるほど威力があった。

それまでは1年間の来港客数は2000万人にも満たなかったのに、中国経済の発展とともに、中国人客だけで年間5000万人規模で訪れるようになった。彼らは日常品から高級ブランド品まで、あらゆる物を買いまくる。コンビニ店がつぶれた後に高級ブランド店が顔を出すなど、中国人客の消費を狙う店が続々出店した。富裕層はマンション購入にも走りだし、相場は吊り上がっていった。株式市場では、成長著しい中国本土企業の上場が相次ぎ、金融市場でも中国企業は存在感を高めていく。香港経済は中国とは切り離せないほど密接になっていったのだ。

中国の経済支援策とは別に、もう一つ忘れてはならないのが、香港に民主化デモが根付いたことにSARSが少なからず影響していることだ。香港政府が「基本法(憲法に相当)」に基づいて「国家安全条例」の成立を目指して動き出すと、SARSに苦しめられたうえに、中国本土のように自由まで奪うのかと、市民は怒りの矛先を政府に向ける。そして香港の中国返還記念日にあたる7月1日に、市民50万人による大規模抗議デモに発展。政府から撤回を勝ち取った。これを機に、多くの市民が民主に目覚め、デモや集会を通して民意を訴えていく香港流の民主化スタイルが出来上がった。市民デモは12年には愛国教育の義務化案も撤回に追い込んだ。

2019年10月 抗議ポスターなどが貼られる壁の前で抗議活動する学生たち

一方のCOVID-19は、全面的に政府に加担するかのように、社会を逆流させるきっかけとなった。

この新型コロナが流行る前の香港は、半年以上続いていた反政府デモが終わりの見えない状況に陥っていた。連日の抗議活動の中で、過激なデモ隊は街を破壊し続ける。警察の取り締まりはエスカレートしていき、市民との信頼関係は崩れていく。中国人観光客は減り、ホテル、小売店、飲食店は苦戦を強いられた。

そこに新型コロナが登場する。香港でも広がりだすと、香港政府は感染防止を理由に集団行動を禁じた。政府も警察も手を焼いていた抗議デモは、こともあろうかウイルスによって、あっさりと封じ込められたのだ。

2020年12月 抗議ポスターなどがはがされ、綺麗に塗り替えられた場所

そして中国政府は、この機に乗じて、当局が直接介入して反体制活動を取り締まることができる「国家安全維持法」を施行した。この法律は03年に市民が撤回に追い込んだ条例案よりもはるかに厳しい内容だが、大人数での集会は禁じられているから、市民が抗議の声をあげることは許されなかった。

この法律の登場で、形勢は一気に逆転。社会の空気は一変し、政府に追い風が吹き始める。反政府デモで叫ばれたスローガンは違法とみなされ、街から消えた。民主派市民の顔的存在だった活動家らは海外に脱出したり引退したりして、香港の表舞台から消えた。外国勢力と結託したとみなされ逮捕されたり、立法会(議会)議員資格を失効させられたりする民主活動家も出てきて、気が付けば、立法会は親政府派が圧倒的多数となり、政府に有利に議会が進む体制が整えられた。「自由都市・香港」は政府主導の統制社会へ傾斜し始めたのだ。

抗議デモによる混乱は収まり、破壊された街も整備された。コロナを除けば何もなかったかのように平和だが、「『国安法』を理由に、政府は都合のいいように何でもできる」(33歳男性)状況に、多くの市民が口を閉ざすようになった。香港の将来に不安を感じ、海外への移民を決める人も少なくない。

SARSの時に芽生えた民主のパワーをCOVID-19 が摘み取ったのは皮肉な話だが、中国政府は、2つのコロナで、経済に加えて、政治的にも香港の中国化を進める機会を得たことになる。半年以上に渡った反政府デモを通じて、「自由都市・香港」の社会の複雑さと、そこに潜む様々な問題を把握したはずで、今後は「国安法」と「基本法」を盾に、公務員や教員、裁判官、区議会議員、メディア関係者などにメスを入れていくと予想される。政府や親政府派主導で歩む新たな香港社会がどんなものか。中国本土とは一線を画して毎年実施してきた天安門事件の追悼集会や、香港政府を批判しながら民主化を訴えてきた返還記念日のデモは、果たしてどうなるのか―。注目したい。(了)

■筆者プロフィール:野上和月

1995年から香港在住。日本で産業経済紙記者、香港で在港邦人向け出版社の副編集長を経て、金融機関に勤務。1987年に中国と香港を旅行し、西洋文化と中国文化が共存する香港の魅力に取りつかれ、中国返還を見たくて来港した。新聞や雑誌に香港に関するコラムを執筆。読売新聞の衛星版(アジア圏向け紙面)では約20年間、写真付きコラムを掲載した。2022年に電子書籍「香港街角ノート 日常から見つめた返還後25年の記録」(幻冬舎ルネッサンス刊)を出版。

ブログ:香港時間
インスタグラム:香港悠悠(ユーザー名)fudaole89

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