古墳の壁画盗掘事件「罪の元凶は韓国人」、「かつてはわが属国だった」とも―中国メディア

Record China    2021年2月8日(月) 10時20分

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中国メディアの騰訊網は20年近く前に発生した韓国人が首謀したとされる古墳の壁画盗掘事件を改めて紹介する記事を掲載した。記事は、韓国が歴史上は中国の属国あるいは属地であったと繰り返し強調した。

中国メディアの騰訊網は7日、吉林省・集安市にある高句麗時代の墓から盗掘されて韓国国内に持ち込まれた壁画の話題を紹介した。記事は冒頭部分で、「韓国は歴史上、長期にわたって中国中央王朝の属国だった」などと強調した。

盗掘の被害にあったのは、ユネスコの世界遺産に2004年に登録された「古代高句麗王国の首都と古墳群」の構成要素の一つである同古墳群第1号古墳第3墓室にあった壁画だ。韓国古美術協会の高級幹部の依頼を受けて、中国人が盗掘したとされている。盗掘の実行は1997年で、複数の中国人盗掘者に対して2003年に死刑の判決が言い渡された。

記事によると、死刑が言い渡された被告の中には、集安市朝鮮文化館長だった者もいたという。

騰訊網の記事は冒頭部分で、「韓国は歴史上、長期にわたって中国中原王朝(中国中央王朝)の属国だった。明・清の時期には、韓国の前身である朝鮮王朝(李氏朝鮮)はやはり、中国に対して自らを臣と称し、中国を宗主国とみなした」と紹介。

さらに、「明代万暦年間(1573-1620年)には、日本に攻め寄せられて敗北した朝鮮を救うために明朝が出兵した際には、朝鮮国王の宣祖が感涙にむせびながら『中国は父母なり。我が国と日本は子のような外国なり。父母の子としての言葉をもってすればすなわち、わが国は孝子なり。日本は賊子なり』と述べた(宣祖実録)」と紹介した。

記事はまた、朝鮮王朝について「全面的に漢化した王朝と言える。朝廷制度や君臣の礼儀、服飾衣冠、文字詩詞は、すべて中国と同じにした。儒教文化は朝鮮人の生活のすみずみに浸透した」と、歴史上の朝鮮が中国化していたと主張した。

記事は、現代の韓国については「そのようなイメージから脱却しようとしつ続けてきた。彼らは脱中国化をする一方で、中国の伝統文化を盗み、韓国人の伝統文化と言いだす。その目的を達成するために、韓国人は手段を択ばず我が国の文化財を直接盗むようなていたらくにまでなった」と評した。

集安市の古墳盗掘事件については、「罪の元凶は韓国人」と論じた上で、「集安市は夏・商の時代から我が国に属していた」と論じ、高句麗時代(紀元前1世紀-668年)には現在の集安市が「国内城」と呼ばれる首都に定められたこともあると紹介した。なお、「夏」は文献上で中国最古とされる王朝だが、実在まだ証明されていない。「商」は考古学により実在が確認された最も古い中国の王朝。日本では「殷」と呼ばれることが多い。

記事はさらに、漢朝を短期間中絶させて「新」という中国中央王朝を樹立した王莽は、高句麗に対して不満を持ったため、「高句麗」を侮辱するために国名を「下句麗」と変えさせたと紹介。「このことは、高句麗が中原王朝の属地だったことを確実に説明している」と主張した。

中国政府は、韓国国内の博物館の展覧会で披露された壁画が、集安市の古墳から盗まれたものと確認すると、中国側に対して徹底的な操作と壁画の返還を求めた。韓国側は対外的には捜査チームを発足させ、徹底捜査をすると宣伝したが、長年が立っても結論は一向に出ず、返還が実現していないことは「言うまでもない」という。(翻訳・編集/如月隼人

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