Record China 2014年4月27日(日) 6時10分
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上海海事法院(裁判所)に大型輸送船(BAOSTEEL EMOTION)を差し押さえられていた商船三井が、4月24日に供託金40億円を支払い、差し押さえを解除された。差し押さえが続けば業務に支障をきたすと判断したらしい。資料写真。
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上海海事法院(裁判所)に大型輸送船(BAOSTEEL EMOTION)を差し押さえられていた商船三井が、4月24日に供託金40億円を支払い、差し押さえを解除された。差し押さえが続けば業務に支障をきたすと判断したらしい。
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この差し押さえは「1972年の日中共同声で放棄するとされた戦後賠償」に相当するのか、それとも「当事者双方の商業契約に関する案件」なのか。いずれにしても日本企業の今後の動きに影響するだろう。ここでは本訴訟の成り立ちを、清王朝まで遡って追跡してみる。
◆中華民国時代に「中国第一船王」と呼ばれた原告の祖父
今般の訴訟の原告である陳震と陳春の祖父・陳順通は、1895年に浙江省の寧波で生まれた。清王朝時代のことだ。陳順通は偶然のことから、軍閥に追われていた国民党の元老・張静江の命を助けたことがある。1912年に中華民国が誕生すると、国民政府の建設委員会委員長となった張静江は恩に報いるため、陳順通を国民船運公司の総経理に任命した。
やがて陳順通は「太平号」という大型貨物船を購入して「中威輌船公司」を上海で設立。「新大平号「順豊号」「源長号」など、つぎつぎと大型貨物船を増やしていって、遂に「中国第一船王」と呼ばれるようになる。
◆日中戦争前、1年契約で大同(商船三井)に船を貸与
そんな折、1936年10月14日、日本の「大同開運株式会社」(現在の商船三井)からの要求で6725トンの「順豊号」と5025トンの「新大平号」を大同に「12か月間」の契約で貸与。このとき陳順通は、万一に備え、「興亜」と「三菱」の二つの海上保険会社に加盟し保険を掛けた。
貸借期限が来た37年11月、陳順通は「大同」に返還を要求したが、貸借した船は行方不明となったという回答が来た。そこで陳順通は39年の春、渡日して「大同」本社を尋ねたところ、「(38年8月22日に)法に基づいて日本軍に接収された」という回答を得た。失意のあまり上海に戻ると、陳順通の「中威」工場は日本軍に占領されているのを発見。しかも「大同」に貸した船は既に沈没しており、保険金は「大同」が受け取っていたことを知る。あまりのショックで陳順通は倒れ病に伏す。37年に日中戦争が始まっていた。
◆戦後の日本国憲法誕生に期待
47年5月3日に発布された日本国憲法に戦争賠償の規定があることを知ったという陳順通は、息子の陳恰(こう)群に闘いつづけろと遺言し、49年11月に逝去した。
父の遺言を貫徹するため、1958年、陳恰群は自由がきく香港に渡った。「大同」と連絡を続け、61年に渡日。外務省や大蔵省などと交渉したが成果が得られず、64年、67年、70年と日本政府を提訴した。
このとき、国民党政府である「中華民国」は日本と「戦争賠償を放棄する」という終戦協定を結んでいるという理由から日本で敗訴し続け、中国の時の首相であった周恩来が便宜を図って、陳恰群を中華人民共和国の公民にする手続きをしてあげた。
しかし「時効」という理由で敗訴し、裁判のために60万ドル(当時の換算レートで約2億1600万円)を使い果たした陳恰群もまた、失意のあまり倒れ、今は半身不随となっている。
◆1986年、中国に「渉外海事訴訟」規定誕生
祖父と父親の思いを継いだのが、現在の原告で陳恰群の息子の陳震と陳春である。
1986年1月31日、中国の最高人民法院は「渉外海事訴訟」に関する新たな規定を設けた。87年1月には「民法通則」が施行され時効停止を規定。それを受けて88年12月30日、陳震と陳春は上海海事法院に商船三井を提訴したのである。
2007年12月7日に判決が出て、商船三井に29億円支払うように命じた。2010年8月6日に上海市高級人民法院が最終判決を出し、2010年12月23日に中華人民共和国最高人民法院が被告の上訴を退けた。2011年12月28日、上海海事法院は商船三井に賠償金支払いに関する「執行通知書」を発行。その結果、2014年4月19日に差し押さえに至ったわけだ。
◆冷めていた中国のネットユーザー
この経緯に関して情報が錯誤しているが、これは筆者が3月24日に本コラムで書いた「<遠藤誉が斬る>対日戦後民間補償運動と童増の「保釣運動」とのねじれた関係――先鋭化する中国の反日姿勢」とはいささか事情が異なる。
たまたま日中戦争の時期に差し掛かってしまったので「戦後賠償」という位置づけをしがちだが、同コラムで推測した「今後増えて来るであろう」という賠償問題とは異なる要素が入っていることに注意すべきだろう。
今般の商船三井差し押さえ事件に関しては、中国のネットはむしろ冷静だ。
「よくやった」というものも、たしかにあるが、「それって、いつの時代のことだい? 清王朝に責任を取ってもらうのか、それとも中華民国か?」というのもあれば、「今さら政府が“法に則って”だって? 法も使いようだ」とか「日本は戦後賠償という形では支払わなかったが、それは中国政府が拒否したからだったのを、君ら、知ってるのか? 日本は戦後賠償として、賠償金以上のODA支援をしてきた。それは知らせてはいけないんだよね」などがある。
最も筆者の目を引いたのは「それって、誰の首を絞めたことになるんだろう? 日本はもう中国には投資しなくなるよね? 困るのは誰?」というコメントだった。
6億人を越える網民(ネットユーザー)」がいると、中には冷静で賢明な者が必ずいる。
ただし、3月24日のコラムで書いた童増は、商船三井の件を対日民間戦後賠償運動と位置付けて、まるで自分が起こした運動の勝利であるかのごとく勢いづいている。対日民間戦後賠償が増加するのを防ぐためにも、日本は商船三井事件を戦後賠償と切り離して扱った方が、逆に賢明ではないだろうか?
<遠藤誉が斬る>第33回)
遠藤誉(えんどう・ほまれ)
筑波大学名誉教授、東京福祉大学国際交流センター長。1941年に中国で生まれ、53年、日本帰国。著書に『ネット大国中国―言論をめぐる攻防』『チャイナ・ナイン―中国を動 かす9人の男たち』『チャイナ・ジャッジ毛沢東になれなかった男』『チャイナ・ギャップ―噛み合わない日中の歯車』、『●(上下を縦に重ねる)子(チャーズ)―中国建国の残火』『完全解読「中国外交戦略」の狙い』、『中国人が選んだワースト中国人番付』など多数。
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