お供え物が絶えないチベット自治区の怒江大橋、その訳は?―中国メディア

人民網日本語版    2021年7月26日(月) 0時20分

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チベット自治区チャムド市にある怒江大橋では、花や果物を供える人が後を絶たない。

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チベット自治区チャムド市にある怒江大橋では、花や果物を供える人が後を絶たない。また、橋の上から川に向かって敬礼する小学生や川にお酒を撒く人、クラクションを鳴らしながら走行する車両などもあり、こうした行動を通じて、多くの人が橋の建設の際に命を失った兵士たちに追悼の意を表している。

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■怒江大橋の建設にはどんなエピソードが?

チャムド市パシュー県にある怒江大橋は、チベット自治区に入る際には必ず通過することになる橋であり、四川省と同自治区を結ぶ国道・川蔵線の要衝の道でもある。

1950年当時、チベット自治区にはまだ公道がなく、中国人民解放軍第18軍の兵士たちがハンマーやドリル、スコップといった簡単な道具を手に、標高4000~5000メートルの起伏ある大きな山や激しい流れの川、悪天候、山津波、土石流などの自然災害などに立ち向かい、さらには寒さや高山病、食糧不足などにも悩まされた。しかし、不屈の闘志を抱く兵士たちは、山を切り拓き、川に橋を架け、1954年に、全長2000キロ以上の川蔵線を開通させた。わずか4年での完成という、公道史上における奇跡を起こしたのだ。

道の両脇には、建設で命を落とした兵士2000人以上が眠っている。これは1キロ当たり平均1人が犠牲になったことになる。数多くの優秀な兵士たちがチベット高原で犠牲になったのだ。

怒江大橋の隣には今も古い橋脚が残されている。地元には、ある兵士が橋を建設中にコンクリートの中に落下してしまい、発見された時にはすでに救出できない状況だったという言い伝えがある。そして、怒江橋が架け替えられた後も、その橋脚は川蔵線の建設で命を落とした兵士の功績をたたえる「石碑」として、ずっと残されている。そして、毎年清明節(先祖を祭る中国の伝統的な祭日)の頃になると、地元の人々が「哈達(ハダー)」と呼ばれる真っ白な長いスカーフを橋にかけるのだという。

川蔵線でかつては最も危険だった区間は今、安心して走行できるように整備されている。自動車や列車、飛行機などからなる交通網もチベット自治区全域に張り巡らされている。山道を走ると2時間かかる所が、世界で標高が最も高い位置にある全長約7キロの公道トンネルが完成して、わずか10分で通過できるようになった。道路の両脇もどんどん繁栄しており、宿泊施設や店が立ち並ぶようになっている。そして、川蔵線の沿線で暮らす人々の生活はますます豊かになっている。観光客の多くは自動車でそこを通過する際、クラクションを鳴らしたり、果物や花を供えたりして、橋の建設で命を落とした兵士たちに追悼の意を表している。(提供/人民網日本語版・編集/KN)

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