メダル獲得史上最高、東京五輪に沸いた香港

野上和月    2021年8月11日(水) 15時20分

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東京五輪での日本選手団の活躍は目覚ましかったが、香港も金メダル1個、銀メダル2個、銅メダル3個と、史上最多のメダルを獲得。予想外の大活躍とメダルラッシュに、香港中がかつてないほど熱狂した。

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東京五輪での日本選手団の活躍は目覚ましかったが、香港も金メダル1個、銀メダル2個、銅メダル3個と、史上最多のメダルを獲得。最終日まで、香港代表選手の予想外の大活躍と“メダルラッシュ”に、香港中がかつてないほど熱狂したスポーツの祭典だった。

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香港は1997年に中国に返還されて香港特別行政区になってからも、「一国二制度」の下で、中国とは別に五輪に参加している。今回は、卓球、バドミントン、水泳、フェンシング、自転車などの競技に、返還後最高の46人が出場した。

土地が狭くて練習場が少ない上に、選手の育成や支援体制が十分でない香港で、スポーツで食べていくのは難しい。健康志向でスポーツ人口は増えているが、前回大会までで取ったメダルは、88年のソウル五輪のバドミントン混合ダブルスで銅メダル、96年のアトランタ五輪のヨット競技で香港初の金メダル、2004年のアテネ五輪の男子卓球ダブルスで銀メダル、12年のロンドン五輪の女子自転車競輪で銅メダルだけだ。

それが、今回は1大会でメダル6つも取る歴史的快挙を成し遂げたのだ。

まず、開幕4日目にフェンシング・男子フルーレ個人で張家朗選手が優勝。中国返還後初めて、香港史上でも25年ぶりに2つめの金メダルを香港にもたらした。その数日後に、何詩蓓選手が自由形女子200メートルと100メートルの2種目で、いずれもアジア記録を塗り替えての2位。一人で銀メダルを2つも取る偉業を達成した。

続く卓球団体女子では、李皓晴選手、杜凱琴選手、蘇慧音選手のチームが大健闘。準決勝で日本に敗れたものの、3位決定戦でドイツを破り銅メダルに輝いた。同じ日に行われた空手女子形でも、劉慕裳選手が切れのある形を披露し、銅メダルを獲得。1日で香港選手が銅メダルを2つも取ったことに、香港市民の興奮は頂点に達する。

しかし、感動はそこで終わらなかった。自転車・トラック女子スプリントで、敗者復活戦から勝ち上がっていったロンドン五輪の銅メダリスト、李慧詩選手が、大会最終日にメダルをかけて出場。再び銅メダルに輝き、2大会でメダル獲得という、香港の五輪の歴史に輝かし1ページを添えたのだった。

メダルこそ届かなかったが、バドミントン混合ダブルスの3位決定戦で、トウ俊文・謝影雪組が、日本ペアと互角に勝負。大健闘した。

大会が進むにつれ、市民は「香港代表選手がこれほど活躍するとは」「またメダル獲得だ」と驚きと熱狂の連続。香港中が歓喜と興奮の日々だった。試合の様子は、これまでのようにテレビ局1局による独占放送ではなく、5局で放送されたから、応援したい競技を選んで、生で観戦できた。公立体育館や大規模ショッピングセンターがパブリックビューイングの会場となったことで、多くの市民が一体感をもって応援できた。さらに、日本との時差が1時間だけで観戦しやすかったことなどが、五輪をより身近なものにした。テレビ局の中には、五輪のテーマ曲まで作り、スポーツの祭典を盛り上げるなど、気が付けば香港中がお祭りモードになっていた。

今回、これほど多くのメダルをもたらすことになった背景について、香港メディアは、香港政府が打ちだしたスポーツ振興策をあげている。

政府は12年に70億香港ドル(約992億円)を投じて優れた運動選手を養成するための基金を設立。海外や中国本土で強化訓練や経験を積むなどで、選手が育ってきたことが今回の好成績につながったという。また、メダリストの李静氏が女子卓球チームの監督として指導に当たってきたこともメダルへの近道になったかもしれない。

とはいえ、練習環境はまだまだ十分とはいえない。「跳馬王子」の異名を持つ石偉雄選手の練習場の一つを5月に見たが、そこは郊外の体育館の一角。しかも、体操競技の機材が隙間なく置かれた倉庫のような空間で、他の運動員たちと一緒に、譲り合うように練習していた。2014年アジア競技大会の跳馬で金メダルを取るほどの五輪代表選手の練習環境としては気の毒に思えたほどだ。

また、バドミントンの伍家朗選手が、香港旗なしの黒のTシャツを着て試合に出たことで、親中派政党関係者から政治的意図があるのではと批判されたが、これは、大会直前にスポンサーから契約を切られ、やむを得ず自分でユニホームを用意したからだった。香港の競技団体はこれを認めて、2回戦に合わせて急きょ彼の公式ユニホームを用意するドタバタぶり。香港ではスポーツ選手への待遇や配慮にまだまだ改善の余地があることを露呈した。

メダルの話に戻すと、東京五輪は開催が1年ずれたが、香港は8年おきにメダルを獲得している。しかも、それぞれがとても意味深い。

1996年のアトランタ五輪は、英国統治時代の最後に行われた大会だった。ヨット競技ミストラル級で李麗珊選手が香港の初代金メダリストに輝いたが、まるで歴史のために奇跡が起こったようだった。メダル獲得の喜びの中で彼女が「香港の運動選手はクズじゃない」と発した言葉とともに、市民の脳裏に深く刻み込まれている。

2004年のアテネ五輪では、男子卓球ダブルスで李静選手と高礼沢選手ペアが中国選手を相手に銀メダルを獲得。返還後では初めてのメダリストが誕生した。ただ、両選手は、その4年ほど前に中国本土から香港にやってきて、国際舞台で経験を積みながら実力をつけていった。本土にいたら上位選手の控えで終わった選手生命を、人生の舞台を香港に移すことで、スポーツで「香港ドリーム」を実現してみせたのだ。

2012年のロンドン五輪では、女子自転車競輪で李慧詩選手が銅メダルを獲得して表彰台に上がった時に掲げられた3つの旗が、市民に97年の香港の中国返還式典を思い出させた。金メダリストは英国選手。銀メダリストは中国選手だったから、英国のユニオンジャックを挟んで、香港の区旗と中国の五星紅旗が掲揚されたからだ。

そしてアトランタ五輪から25年後の東京五輪では、選手は数々の記録を打ち立て、「香港の運動選手はクズじゃない」どころか「香港のヒーロー」となったのだ。

東京五輪での香港選手の活躍を受けて、政府は今後、スポーツ振興に更に力を入れるようだ。運動選手を夢見る子供たちも増えるだろう。今回メダルを獲得した選手はほとんどが20代前半だから、次の大会でも期待が高まる。パリ五輪での香港選手の更なる活躍が楽しみだ。(了)

■筆者プロフィール:野上和月

1995年から香港在住。日本で産業経済紙記者、香港で在港邦人向け出版社の副編集長を経て、金融機関に勤務。1987年に中国と香港を旅行し、西洋文化と中国文化が共存する香港の魅力に取りつかれ、中国返還を見たくて来港した。新聞や雑誌に香港に関するコラムを執筆。読売新聞の衛星版(アジア圏向け紙面)では約20年間、写真付きコラムを掲載した。2022年に電子書籍「香港街角ノート 日常から見つめた返還後25年の記録」(幻冬舎ルネッサンス刊)を出版。

ブログ:香港時間
インスタグラム:香港悠悠(ユーザー名)fudaole89

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