Record China 2021年8月19日(木) 7時30分
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米国と中国が対立する中で新型コロナウイルス感染が広がっている。中国の武漢がウイルスの起源ではないかと言われているが真相は?この問題を広く取材している科学ジャーナリスト・倉澤治雄氏にインタビューした。
米国と中国が対立する中で新型コロナウイルス感染が広がっている。中国の武漢がウイルスの起源ではないかと言われ、海鮮市場から漏洩したとか、武漢研究所で人工的に作られたなどの情報も飛び交っている。中国は事実ではなく政治問題化すべきではないと反論しているが真相は? 科学ジャーナリストとしてこの問題を取材・執筆している倉澤治雄氏にインタビューした。
同氏は「人工ウイルス説」については、「これまでの科学的な分析結果から否定されている」とするが、武漢ウイルス研究所(WIV)からの流出説については、「これまで報道された事実から考えると可能性は低いが、更なる調査が必要だ」と語った。また次のパンデミックに備えて、「全世界で教訓を生かすためにも、情報を共有化し、米中はじめ各国が協力して科学的な視点できちんと事実を解明すべきだ」と提言した。
(聞き手・Record China主筆・八牧浩行)
――武漢ウイルス研究所(WIV)の「バット(コウモリ)ウーマン」が話題ですね?
コウモリは約980種が広く世界に生息する空飛ぶ哺乳類です。翼はあるが鳥ではない。人間社会に登場する新興ウイルス感染症のうち、約4分の3が「人獣共通感染症」です。中でもコウモリ由来の感染症は多く、致死率約50%のエボラ出血熱、40%のニパウイルス感染症、80%を超えるマールブルグ病のほか、2002年に中国広東省を中心に猛威を振るった重症急性呼吸器症候群(SARS)、12年に中東で広がった中東呼吸器症候群(MERS)などコウモリ由来です。
コウモリは様々なウイルスを宿していますが、自分自身は発症しません。東南アジアでは重要なタンパク源であり、中国では民間薬としても珍重されています。日本でも食用にしていた歴史があります。
◆SARSの原因突き止めた「バットウーマン」が活躍
ヒトヘの感染を防ぐには、コウモリが宿す危険なウイルスを探し出さなければなりません。野山に分け入り、動物を宿主とするウイルスを探す「ウイルスハンター」は過酷で危険な仕事ですが、中国の武漢ウイルス研究所(WIV)の石正麗研究員は世界で最も著名な「ウイルスハンター」の一人です。1964年河南省に生まれ、87年に武漢大学を卒業、90年に武漢ウイルス研究所で修士課程を修了してフランスに留学しました。2000年にモンペリエ大学でウイルス学の博士号を取得したのち、帰国してWIVの研究員となった女性研究者です。
02年11月に広東省で発生したのがSARSです。翌年7月、WHOが終息宣言を出すまでに、32の国と地域で約8千人の感染者と774人の死者を出しました。石研究員は2004年からSARSの原因を探るため、危険なウイルスを宿すコウモリを追い続け、「バットウーマン」と呼ばれています。05年に「SARSコロナウイルスの自然宿主はコウモリの可能性が高い」とする論文を科学雑誌「Science」に発表して注目を集めました。
雲南省、広東省、広西チワン族自治区などの洞窟に棲むコウモリの血液や糞を採取し、ウイルスを抽出しては遺伝子配列を特定しました。13年、小型の食虫コウモリ「キクガシラコウモリ」がヒトに感染するSARSウイルスの自然宿主であるとする論文を「Nature Online」に発表しました。洞窟に密集して棲むコウモリが持つウイルスは変異しやすいといわれます。コウモリの糞や血液を浴びて、病に倒れる研究者さえいました。17年には広東省で採取したキクガシラコウモリのウイルスとSARSウイルスの遺伝子配列が97%一致することを解明し、ウイルスがコウモリからハクビシンへと宿主を変える中で変異し、ヒトに感染するルートを突き止めました。石研究員の業績は高く評価され、16年にフランス政府教育功労賞(パルム・アカデミック・フランス)、18年には中国国家自然科学賞などを受賞し、19年には米国微生物学会の院士に選出されました。
――新型コロナウイルスは武漢が起源と言われています?
大きな業績を上げた石研究員が次に直面したのが新型コロナウイルス感染症です。感染が世界で拡大する中、石研究員とWIVは米中対立に端を発する巨大な情報戦の渦に巻き込まれ、様々な「疑惑」や「陰謀論」がメディアとネットで飛び交いました。「人工ウイルス説」と「ウイルス漏えい説」です。
疑惑の一つは「人工ウイルス説」です。大量のウイルス株が保有されているほか、最高レベルの防護措置が必要なBSL4実験設備を備えているからです。「人エウイルス説」がメディアを通じてたちまち流布した背景には、遺伝子組み換えやゲノム編集技術の著しい進歩が挙げられます。
たまたま武漢市に研究所(WIV)があって、武漢が本当に発生源かどうかはともかく最大のクラスターが同市の海鮮市場で発生したのは間違いありません。偶然なのか意図的なのか憶測を呼びやすいのは確かです。人工ウイルスはWHO(世界保健機関)の現地調査で否定されました。ほぼ100%ないと思われます。
WIVには大量のウイルス株が保有されているほか、最高レベルの防護措置が必要なBSL4実験設備を備えています。ウイルス遺伝子の一部を改変し、動物に感染させて病原性が現れるかどうかを調べる実験は「機能獲得変異研究」と呼ばれ、広く行われています。
◆完全に否定された「人工ウイルス説」
医学雑誌「Nature Medicine」15年11月9日号に掲載されたコロナウイルス(旧型)を使った実験の論文には、米ノースカロライナ大学の研究者らに混じって石正麗と同僚の葛行義の名前があったことから、「人工ウイルス説」の根拠となりました。しかし新型コロナウイリスが人工的に作られた可能性について、黒木登志夫東京大学名誉教授や米スクリプス研究所のクリスティアンーアンデルセン准教授らによって否定されました。さらに英ケンブリッジ大学ピーター・フォスター博士をはじめ、ほぼすべての科学者が「人工ウイルス説」を否定。米情報機関の国家情報長官室も「人工的に操作されたものではない」との声明を発表しました。ファウチ米国立アレルギー・感染症研究所(NIAID)所長も「ナショナルージオグラフィック」のインタビューに答え、「新型コロナウイルスが中国の研究所で作られたと考える科学的根拠はない」と断言しました。これにより「人工ウイルス説」は完全に否定される形となりました。
整理して考える必要があります。新型コロナウイルスの遺伝子は約3万塩基の遺伝情報を持っています。変異の速度は3万塩基のうち年間25塩基ほどと言われています。つまり2週間に1度くらいの頻度で変異するのです。通常は人間に感染することはなくても、コウモリやそのほかの動物を媒介として、たまたま人間に感染するものができてしまいます。仮に人工的に作ろうとすると、遺伝子の切り貼りをしますから、必ず痕跡が残ります。新型コロナウイルスの配列を見ると、こうした不自然な配列がないことから、「人工的に合成された」という説ははっきり否定されたと思います。
――新型コロナウイルスは人類共通の敵であり、ウイルス撲滅へ米中をはじめ各国が協力すべきで、対立を押さえてウイルスに立ち向かってもらいたいとの意見も多いですね。
科学的な調査は行わなければなりません。様々な情報が飛び交っていますが、米国発の情報も中国発の情報も検証することができない状況証拠ばかりです。お互いにこうした政治的な発信はやめるべきで、根拠のないことを言い合っても仕方がありません。
一方「ウイルス漏えい説」については、研究所から漏えいしたことを示す「証拠を見たのか?」と問われたトランプ大統領は「その通りだ」と答えましたが、記者に根拠を問われると、「それは言えない、あなたに教えることはできない」とはぐらかしたままです。
◆米国が武漢ウイルス研を資金援助
「ウイルス漏えい」が疑われた武漢ウイルス研究所(WIV)は1956年に中国科学院武漢微生物研究所としてスタートしました。WIVは「分子ウイルスセンター」「分析微生物・ナノ生物学センター」「微生物資源応用センター」「ウイルス病理研究センター」「新興伝染病研究センター」の5つのセンターから成り、250名を超える研究者・職員を抱える。保有す細菌やウイルスの数は1500種に上ります。
最も危険な細菌やウイルスを扱うBSL4実験室はフランスとの協力で建設されました。SARSがまん延した直後の04年に締結された「中仏新型伝染病防止協力プロジェクト」に基づいて、フランスーリョンにあるパスツール研究所の協力で15年に完成、18年に稼働を開始しました。BSL4実験室では細菌やウイルスに対して最も厳しい防護措置が取られています。
ところがフランスは途中で撤退し、代わりに米国立衛生研究所(NIH)や国防総省が資金援助を含む協力関係を築きました。その米国では疾病対策予防センター(CDC)のBSL4実験室で事故が多発、14年10月には米国政府が「機能獲得変異研究」を凍結したことから、WIVのBSL4実験室をいわば代替として支援してきました。
石研究員はヒトに感染する可能性のあるコロナウイルスが存在することを説明したうえで、「公衆衛生の観点から、将来のコロナウイルス感染症を予防し、予測するため、コウモリ由来のコロナウイルスの研究と監視を続けなければならない」と警鐘を鳴らしました。石研究員は中国環球電視網(CGTN)のインタビューで「発生源は研究所ではありません。私の命にかけても誓います」と明言しています。
WIVではウイルスの分離・精製とゲノム解析が行われました。19年12月頃すでに武漢市内の病院には、重症の肺炎患者が次々と運び込まれていました。石研究員のグループは20年1月2日、SARSICOV-2の遺伝子配列の決定に成功、引き続きウイルス株の分離、培養、標準化と凍結保存、サルを使ったモデリングなどに取り組みました。
ウイルスのゲノム情報は極めて重要で、ワクチン開発するにも不可欠な情報です。しかしWIVがWHOに報告したのは1月11日、世界に公表したのは12日になってからでした。中国国家衛生健康委員会やWIV上層部は研究者の自由な発表を厳しく制限していたのです。私はこちらの方が問題だと思います。
――「患者第0号」は一体誰でしょうか?
20年1月23日、石研究員のグループは「bioRxiv」に新型コロナウイルスの起源がコウモリであることを示唆する論文を投稿しました。WIVが保有していたキクガシラコウモリのRaTG13ウイルスと患者から抽出したウイルスの塩基配列が96%一致しました。SARSウイルスとの差異は79.5%です。96%の一致は遺伝子配列の差に換算すると1200塩基ほどです。つまり武漢ウイルス研究所で保有していたウイルスが、パンデミックを起こしたウイルスに変化するには、単純に見積もって50年近くかかることになります。二つのウイルスは異なる系統であると考えることが合理的です。
WIVの王延軼所長はインタビューで、「保有していないものが漏えいするはずがない」と胸を張りました。では新型コロナウイルスは一体どこから来たのでしょうか。中国の医師らが投稿した1月24日付の医学雑誌「Lancet」の論文によると、新型コロナ肺炎患者第1号は19年12月1日に発生していたとされています。論文執筆者の一人で金銀潭病院ICU主任の呉文娟主任はBBCのインタビューに、この患者は70代の男性で脳梗塞と老年性認知症を患っており、長期間寝たきり状態だったと明かしました。クラスターの発生した海鮮市場には行っていないとのことです。
――米CDCのファウチ所長が「武漢研究所を支援しコロナ感染に繋がった」と非難されていますね?
患者第一号にウイルスをもたらした「患者第0号」は一体誰なのか、残念ながら今のところその先を遡る情報はありません。ウイルスの発生源を探るため、ゲノムを系統的に収集する試みが続いています。ウイルスのゲノム情報はデータベース「GISAID」に登録され、世界各地の研究機関から提供されたゲノム情報をベースに「Nextstrain」は感染状況を系統樹や世界地図を用いて可視化しています。
新型コロナウイルスが「武漢型」、「欧州型」など3系統存在することを解明したケンブリッジ大学のピーター・フォスター博士は、「コウモリからヒトに感染したのは19年9月13日から12月7日の間」との研究結果を発表しました。「患者第0号」はどこの誰なのか、中間宿主はハクビシンだけなのか、自然宿主のコウモリはどこに棲むどんなコウモリなのか、今も世界の科学者による追跡が続いています。
◆武漢研究所、米国が資金供与、共同研究も
武漢ウイルス研究所の石さんはきちんとした起源を巡る調査をやってほしいと考えていると思います。イタリアで武漢のウイルス株が早い段階で見つかっています。中国だけで調査しても成果は期待できません。各国の医療機関は肺炎などで死亡した人の血液を保管しています。これらの血液について抗体検査を行えば、第1号患者が出た12月1日以前に、患者がいたかどうか、ある程度解明されるでしょう。武漢で初めてで発症した人たちの血液とかウイルスの配列は非常に重要な情報です。
次のパンデミックに備え、情報を共有化すれば早期にワクチンを作成できます。完全に科学的な視点できちんと調査解明すべきです。米中はじめ各国が協力してやるべきだと思います。これは国と国との問題ではなく、人類とウイルスの戦いなのです。繰り返しますが、武漢ウイルス研究所の石研究員も、国際協力による調査の必要性を支持するだろうと私は考えます。コロナウイルスによるパンデミックの発生に最も強い警鐘を鳴らしていたのが彼女ですから…。
たとえばエボラ出血熱は感染性は低いですが、重篤性と致死率が高い。重篤になったら動けないのでウイルスは外に広がりません。コロナウイルスは重篤性が低いのですぐに広がってしまいます。侮るべきではありませんが怖れすぎるべきではありません。今後人類全体を襲うパンデミックは何度も起きるでしょう。次に備えるためにも完全に科学医学的に教訓を学んで調査すべきです。
米国の科学参事官が武漢研究所を訪問していてその時の公電の一部がリークされていますが興味深く見ました。なぜ米国の科学参事官が武漢に行ったのでしょうか? 管理の厳しい感染ウイルス実験室が米国には14カ所ありますが、中国は2カ所だけです。世界全体では59カ所です。米国で一番最先端のCDCの研究施設で事故が起きたので使えなくなり、武漢の研究所に資金拠出して米大学が武漢で実験・研究していたという経緯があります。CDCのファウチ所長が「中国武漢研究所を支援しコロナ感染に繋がった」と米国内で非難されています。
武漢ウイルス研究所は世界最高のウイルス実験施設です。米国内のBSL4実験施設の代替として武漢ウイルス研究所を使っていた米国の責任も大きいと思います。
私は漏えいの可能性がゼロであるというつもりはありません。しかし最近発表された米国共和党のレポートも状況証拠にすぎませんし、これまで報道された事実だけで漏えいだと決めつける態度は科学的とは言えません。発生源の特定には国際協力が不可欠です。中国政府はWHOによる二度目の調査を拒否していますが、調査を受け入れることは決して不名誉なことではありません。日本も東電福島第一原発事故の時、何度もIAEAの調査を受け入れました。
大切なことは次のパンデミックに人類が備えるためにも、科学的な調査が行われ、教訓を学ばなければならないということです。これは人類全体の問題なのです。
【倉澤治雄氏プロフィール】
1952年千葉県生まれ。東京大学教養学部基礎科学科卒業。フランス国立ボルドー大学第三課程博士号取得(物理化学専攻)。日本テレビ入社後、北京支局長、経済部長、政治部長、メディア戦略局次長、報道局解説主幹などを歴任。2012年科学技術振興機構中国総合研究センター・フェロー、2017年科学ジャーナリストとして独立。著作に『原発爆発』(高文研)『原発ゴミはどこへ行く?』(リベルタ出版)など。
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