人民網日本語版 2021年9月7日(火) 19時50分
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最近ある番組で若者がAIを使い、李白や杜甫を模倣した詩を作りあげた。
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最近ある番組で若者がAI(人工知能)を使い、李白や杜甫を模倣した詩を作りあげた。AIが最後に作りあげた作品は形式的には要求に見合ったものだったが、番組に出演していた教授からは、「今ひとつ」という評価だった。南京師範大学の兪香順(ユー・シアンシュン)教授は、「AI技術で彼らの性格やその心、そして人格などを表現することができるのかという点については、やはり慎重に見守りたいというのが個人的な意見だ」とした。光明日報が伝えた。
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実はAIによる詩作は目新しいものではない。マイクロソフトの「小冰」は数年前よりAIを使った著作を試験的に開始しており、定期刊行物に詩のコラムを設け、最終的には詩集まで出版した。小冰の作風スタイルは現代詩で、今回の番組で若者がAIで作りあげたのは旧体詩だったが、これには本質的な相違点はない。AIにとっては、詩のスタイルの法則さえ把握してしまえば、形式に沿った詩を作りあげることは難しくないからだ。
しかし専門家と学者がみな指摘しているように、AIによる詩作は人が読んだ作品に比べてやはり「今ひとつ」の出来であることも確かだ。それは主にAIそのものの属性によるものだ。AIは本質的に機械学習であり、機械学習は帰納のプロセスとなる。帰納は過去のすべてのデータを総括し最後に出力する結果であり、把握するすべての資料を上回ることはない。
しかし詩作は一つの文学的創作であり、演繹のプロセスとなる。作者は詩作において、韻や平仄、字義の虚実といった基本的な形式と要素を考慮するだけでなく、感情を込め、そこに価値観や想像力を注ぎ込む。詩作とは一種の感情に基づく創作であり、単なる文字の組み合わせでは決してない。これはAIにはなし得ないことだ。
一部の技術楽観主義者は、AlphaGoが囲碁のチャンピオンに勝ったのだから、詩を上手に作れないはずはないと考えている。これは囲碁のテクニックにはさまざまな変化があるが、機械は理論上、そのすべてのテクニックを究め尽くすことができるからだ。すべてのテクニックの可能性を把握すれば、機械はあらゆる手に対処できる。
一方、詩作は単純な技術の出力ではなく、感情と価値観の発露となる。技術はこの主観的な内容を完全に把握できない。これは機械がニュースを書けるが、詩を書けない理由でもある。(提供/人民網日本語版・編集/YF)
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