天安門事件のリーダーの一人、米NYで刺殺される

Record China    2022年3月17日(木) 11時20分

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16日、米華字メディア・多維新聞は、1989年に起きた天安門事件の学生リーダーで、米ニューヨークで弁護士として活動していた李進進氏が殺害されたと報じた。

2022年3月16日、米華字メディア・多維新聞は、1989年に起きた天安門事件の学生リーダーで、米ニューヨークで弁護士として活動していた李進進(リー・ジンジン)氏が殺害されたと報じた。

記事は、ニューヨーク市警察局の情報として、現地時間14日午前11時44分に同市フラッシングにある弁護士事務所内で男性が刺されて倒れているとの通報が警察に入り、警察官が事務所に駆けつけると、首や胴体を刃物で刺された男性1人が意識を失って倒れているのを発見、男性は病院へ搬送されたが死亡したと紹介。この男性が李氏であることが判明したと伝えた。

そして、李氏の経歴について、1955年湖北省生まれで78年に中南財経政法大学法学部を卒業後、北京大学法科大学院の博士生となり、89年の学生運動ピーク時に北京工人自治連合会を創設して同年6月4日の天安門事件ではリーダーの1人として学生を指導、事件後に逮捕されて2年間収監されたと紹介。93年に渡米して98年よりニューヨークで弁護士としての活動を始めたほか、民主化運動組織である中国民主党の全国委員会監察委員会主任委員も務めたとしている。

記事によれば、容疑者は25歳の中国系住民の女で、警察官にその場で取り押さえられ連行された。女は別の人物に自身の身分に関する手続きの依頼をしたがうまくいかず、李氏にこの人物を告訴するよう求めたものの、李氏がこれに同意しなかったため犯行に及んだとのことである。

記事は、同じく天安門事件のリーダー的人物だった王丹(ワン・ダン)氏が李氏の訃報に際してコメントを発表し、民主化運動を盛り上げた李氏の功績をたたえるとともに「彼の死は民主化運動の大きな損失であり、個人としても耐え難い損失だ」と述べたことを伝えた。

一方で、中国本土からは「李は米国の反中主義者の中核的存在であり、90年代初めに米国に逃げた後、弁護士事務所を開き、専ら米国に逃げ込んだクズどもをかくまっていた」といった評論が見られるとした。(翻訳・編集/川尻

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