京都の田舎(現城陽市)出身の奥田駒蔵は、横浜でフランス人シェフのもとで修行を積み、渡欧後、明治43(1910)年東京日本橋小網町に西洋料理店「メイゾン鴻乃巣」を開業した。場所は日本橋川に架かる鎧橋の畔、店の入り口に「西洋御料理 鴻乃巣」と染め抜いた暖簾が下がり、上部に「KOUNOSU FIRST CLASS BAR」の看板がかかる。この異国情緒と江戸情調がないまぜになった舞台装置にいち早く目をつけたのが、「スバル」や「白樺」などに集う若き文士・芸術家たち。駒蔵は毎月、店の広告を雑誌に掲載しては個性あふれる客人を煽り立て、“サタディーナイト”を催しては、彼らの談論風発に火を点けていた。
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