北京にない「北京インスタントラーメン」、中国ご当地ラーメン地図―中国メディア

人民網日本語版    2022年4月29日(金) 23時0分

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インスタントラーメンは、静まりかえった深夜に心を温めてくれるものであり、今では食卓を守る最後の防衛ラインにもなっている。

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インスタントラーメンは、静まりかえった深夜に心を温めてくれるものであり、今では食卓を守る最後の防衛ラインにもなっている。

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インスタントラーメンは「究極のスペアタイヤ」のようなものだ。お腹が空くと頭に浮かぶが、お腹いっぱい食べた後では目に入らず、どこから来たかにも関心が払われない。多くの人がその背景をよく知らないラーメンには次のようなものがある。

有名な「北京マーラーラーメン」は実は北京出身ではなく、正真正銘の河南省生まれだ。同じく河南出身の「豫竹ラーメン」は上海の「美味肉蓉ラーメン」とともに、山西省の人々の舌を征服した。広東省潮州市や汕頭(スワトウ)市で人気の「幸運蟹皇ラーメン」は、安徽省淮北市と江蘇省鎮江市で生産されたものが多いが、会社の創業者はシンガポールの広東潮州系ビジネスマンだ。

最も話題になるのは多くの東北人がふるさとの特産品と考える「東三福のインスタントラーメン」で、実際には河北省邢台市で生産されており、華竜(今麦郎)ブランド傘下の商品だ。このほかにほぼ同じ商品が2つあり、河南地域では「六丁目」、南方の都市では「小康家庭」の商品名で売られている。1つのラーメンが別々の名前を付けられることで3つの商品になり、「秀逸なネーミング」と呼ばれている。

ラーメンにも「公用語」があるとすれば、それはおそらく「中国のど真ん中」河南省の言葉だろう。

河南は毎年中国人が食べるインスタントラーメンの3割近くを生産し、生産量は長らく全国トップだ。鄭州市を中心に、南の漯河市から北の新郷市に至るインスタントラーメン産業クラスターがある。各大手メーカーの大半が河南には生産拠点がある。中国初のインスタントラーメン業界団体である河南省インスタントラーメン製品専業協会も2005年に鄭州で設立された。

中国で昔からあるインスタントラーメンの1つで、いつも首都の特産と誤解される「北京」ブランドのラーメンは、河南省漯河市の南街村で生産さている。この伝説的な小村は、1980年代からラーメンの生産をスタートし、北京市勁松菓子工場と提携することで、自分たちが生産したラーメンに「北京」と冠することに成功した。

1993年になると、同村は年間5万トンのインスタントラーメンを生産できる18本の生産ラインを擁するようになり、そして当時国際市場を開拓し、遠く海外にも商品を販売した。

なぜ河南なのか。河南は「インスタントラーメン1位の省」になる前から、「中国の穀物倉庫」であり、ラーメンの主要原材料である小麦粉の生産が盛んだったからだ。

現在の河南は、中国の耕地の16分の1で、中国の年間穀物生産量の10分の1を生み出している。中でも小麦の生産量は国内の4分の1を占め、河南の食糧は省内の1億の人口を養うだけでなく、毎年200億キログラムが省外に運ばれ、全国に供給されている。

また、河南は地理的に「天下の中心」にあり、交通・輸送や物流・物資の集散における優位性を備えている。

現在、デリバリー産業の台頭により、タニシ麺をはじめとする各種のインスタント食品の人気が高まったことから、インスタントラーメン市場は圧迫され続けている。18年から20年まで3年連続で生産量が減少した。しかし中国は今なお世界一のインスタントラーメン消費国で、21年は463億袋が消費された。

平均すると、1秒間に1468袋のインスタントラーメンが開封され、グーグー鳴った胃袋を満たしている計算になる。

インスタントラーメンが再びピークを迎えることはないかもしれないが、まだ時代遅れの商品ではない。かつてモノが不足していた時代には、多くの人々の空腹を紛らわしてきたし、これからも数え切れない眠れぬ夜に、孤独な魂にそっと寄り添ってくれることだろう。(提供/人民網日本語版・編集/KS)

※本記事はニュース提供社の記事であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。すべてのコンテンツの著作権は、ニュース提供社に帰属します。

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