中国新聞社 2022年5月12日(木) 22時50分
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古代シルクロードの味と言える「敦煌料理」の研究を続け、100種類以上の料理を再現した(写真)、中国でもトップクラスの調理師である趙長安氏が、「敦煌料理」の数々の特徴と現在の特徴を語った。
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昔の人々は何を食べていたのか。文献が解読できても、それだけでは「過去の食を知った」したことにはならないだろう。古代シルクロードの重要な中継点だった敦煌にはさまざまな記録が残されており、現在も新発見は続いている。中国でも最高位の調理師であることを示す「国家一級調理師」の称号を持つ趙長安氏は30年近くも「敦煌料理」を研究しており、100種類以上の料理を再現した。中国メディアの中国新聞社はこのほど、趙氏にインタビューして「敦煌料理の特徴と現状」を語ってもらった。以下は趙氏言葉に若干の説明内容を追加するなどで再構成したものだ。
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■「西域三道」が集まる敦煌には多くの民族の人が食文化を持ち込んだ
漢の武帝(在位:在位紀元前141年-同87年)は張騫を西域に派遣したり、霍去病を将軍に任じて匈奴との戦いに勝利するなど、中国の皇帝として初めて、北方あるいは西方の民族と深くかかわり、かつ成果を上げた。戦いに敗れた匈奴が後退したことで、漢は敦煌に拠点を建設した。敦煌は「西域三道」が集まる場所で、さまざまな民族の人がやって来た。彼らはさまざまな地方の食材を敦煌に伝えた。
南方からは米飯や喫茶が伝えられた。北方からは粟(あわ)ごはんが、西からは現代のパンに相当する胡餅が、インドからは砂糖が伝えられた。食材だけでなく、さまざまな調理法も伝わった。
敦煌の莫高窟では1900年に、大量の文書が発見された。いわゆる敦煌文献だ。それ以外にも多くの発見があった。その中には「敦煌神仙粥」という料理についての記述があった。私は「敦煌神仙粥」がきっかけで、敦煌に興味を持つことになった。私は現地に何度も足を運び、敦煌料理の再現に取り組むことにした。
敦煌料理は単なる「敦煌という土地に存在した料理」ではない。中国と西の文化が長年にわたり融合した結果であり、歴史及び文化の深い内容が背景にある。敦煌に多くの民族がいた文化の背景を知らねば、敦煌料理の「本来の味」を再現することはできない。
■詳細なレシピも存在、「敦煌神仙粥」を再現
敦煌は、東西の文明が交わるところであり、仏教、キリスト教、イスラム教という世界三大宗教の接点にもなった地だ。研究者の調べによると、敦煌で発見された文献の中には、食事についての直接の記述がある文献が700点以上ある。それらの文献には、当時の日常的な食材や食材の加工法、食べ物あるいは料理の種類、飲食のための道具、飲食の風習などが記録されている。
敦煌の壁画にも食事の場面や食べ物の品種、食事のマナーなどが分かるものもある。私はこれらの文献や絵画、さらに考古学的な出土文献、現代的な調理技術や食文化などを結びつけることで「敦煌料理」を再現した。私は自分の使命を「一つのテーブルにお出しした料理を通して、さまざまな場所から来たお客様に、敦煌を記憶していだだくこと」と考えている。
敦煌および周辺では考古学が今も成果を挙げつつある。漢代(紀元前206年-紀元220年)の竹簡も出土した。これは文字情報だ。漢の次の時代である魏晋期の墓室の壁画には、宴会の様子や飲食の道具が描かれていた。釈迦の前世の姿とされる「九色神鹿」や鈴をつけたラクダなどと共に「胡人焼飯」を確認することもできた。これは胡人、つまり西方の民族が、シルクロードを旅する時に食べた、火にあぶることで加熱した飯だ。
敦煌での食についての詳細な記録について、例えば「敦煌神仙粥」を紹介しよう。現代的な書き方をするならば、「皮を剥(む)いた山芋50グラム」、「オニバスの実25グラム」、「うるち米50グラム」をじっくりと煮て粥にすると書かれている。
作るのがとても大変な料理もある。「楽尊珍菌」には敦煌周辺の草原と近くにそびえる祁連山で自生するマツタケ、フクロタケ、エリンギ、ヒラタケ、サナギタケなど多くキノコ類を使う。香りはキノコの種類によって異なっている。まずは、それぞれに揚げる、、蒸す、煮るはどれも下処理をせねばならない。最後に一緒にして5、6時間蒸す。このようにして初めて全体として香りを十分に融合させ、相乗効果を引き出すことができる。
■これまでの取り組み、これからの取り組みとは
現在までに利用可能になった資料および史料から、食べ物や飲み物、調味料、食器類、食についての、さらに歌や酒についてのしきたり、個人として催す宴会や公的な宴会、屋外での食事、物忌み、一人で酒を飲む時の習慣など、極めて多くの情報が手に入った。
敦煌は甘粛省の北西の端にある。甘粛省は北西から南東に長く延びる形をしている。この地域は、歴史の用語としては河西回廊と呼ばれる。私は学術上の知見と、河西回廊に現在も残るトウチャ族の料理を組み合わせて「敦煌料理」を再現した。自然の食材を使い、添加物は一切用いない。「自然の色」、「自然の形」、「自然の味」という“三点セット”がそろった料理だ。
私は香港などで開催された調理コンテストに招待されたことが何度かある。そんなことで敦煌料理は海外にも知られることになり、取材を目的とするメディアや外国人美食家が敦煌にやってくるようになった。しかし私たちの考え方が古かったために、インターネットの利用では出遅れてしまった。これは、取り戻さねばならない課題だ。今ではインターネットへの取り組みに大いに力を入れている。敦煌料理が世界に広く知られるようになることを期待している。
私はこれまで、シルクロードの多くの要素を抽出することで、古代敦煌の料理を100種類以上、再現してきた。敦煌料理は今も、掘り起こす努力をする価値が大いにある食文化だ。中国と中国の西に広がる世界の飲食文化の融合の状況を知るという研究上の価値ももちろんあるが、地元経済の活性化に役立つビジネスチャンスの開拓という側面も見逃せない。引き続き研究をせねばならないと考える。(構成 / 如月隼人)
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