一人目の「China’s Encounter with Global Hollywood(中国とハリウッドの遭遇)」などの著作があるカリフォルニア大学リバーサイド校メディア文化研究科のウェンディ・スー(Wendy Su)准教授は、「中国政府が1994年にハリソン・フォード主演の『逃亡者』の上映を許可したことを皮切りに、ハリウッド映画の上映を毎年10作まで許可したのは、映画上映で稼いだお金で、1976年の毛沢東の死去後、政府の資金援助が打ち切られ倒産や閉鎖が相次ぐ危機にあった国内の映画産業の補助に充てるためだった」「中国政府は、映画を通じて観衆が米国の民主主義や自由主義などの新しい思想に染まりさえしなければ、ハリウッド映画の上映を歓迎していた」と指摘した。
二人目の南カリフォルニア大学のスタンリー・ローゼン教授(政治学)は、1997年に制作された「セブン・イヤーズ・イン・チベット(Seven Years In Tibet)」「クンドゥン(Kundun)」「北京のふたり(Red Corner)」の以上3作品が、中国での上映予定がなかったにもかかわらず、映画を製作したソニー、MGM、ディズニーの3社に中国政府から全ての映画上映を禁止された出来事に言及し、「中国は初めからハリウッドに対し、誰が主導権を持っているのかを知らしめるつもりだった」と指摘した。
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