Record China 2022年7月7日(木) 22時0分
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1937年7月7日の盧溝橋事件から85年がたった7日、中国当局のアカウント・鈞正平工作室は「日本はなぜ中国を侵略し、中国はなぜ勝つことができたのか?」と題する文章を発表した。
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1937年7月7日の盧溝橋事件から85年がたった7日、中国当局のアカウント・鈞正平工作室は「日本はなぜ中国を侵略し、中国はなぜ勝つことができたのか?」と題する文章を発表した。同アカウントは「習近平(シー・ジンピン)主席の重要指示の精神を学び、貫徹する」ことを旨とした人民解放軍による広報プラットフォームの一つ。
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文章は、盧溝橋事件を振り返った上で、「日本軍はこの戦争に勝つための十分な自信を持っていた。当時の中国と日本にはどれほどの差があったか。1936年の統計によると、日本の鉄の年間生産量は300万トン余りだったのに対し、中国は10万トンにも満たず。鋼の生産量は日本が640万トンで中国は1000トンにも満たなかった」と説明。「わが国は戦闘機や戦車などは全く生産できず、日本は空母まで造ることができた」とした。
また、「日本の陸軍史の記録によると、中国全民族抗戦が勃発した当時の日本の兵力は400万、中国の兵力は100万余りだった。しかも、日本軍はよく訓練され、優れた装備を備えていた。われわれとは格が違ったのである」と指摘。「一方は強大な資本主義工業国、もう一方は立ち遅れた農業国。これでどう戦えばよいというのか」とした。
さらに、「日本人は中国人に国家意識がなく、外からの侵入で容易に屈すると考えていた。日本軍は1937年の年末まで、予想通り順調に中国侵略作戦を展開していた。当時を思えば、中国人には国家意識がないという指摘は正しかったかもしれない」「当時の中国は貧困に弱さが重なり、バラバラの砂のような状態で、人々の結束は確かに強くはなかった。毛沢東は著書『持久戦論』の中で、日本がわれわれをいじめる主な原因は中国の民衆が無組織状態にあることだと指摘し、日本に勝利する条件に団結と各方面の進歩を挙げた」と説明した。
続けて、「1937年7月15日、中国共産党は国共合作宣言を起草、発布し、全民族に日本帝国主義の抑圧を覆すために奮闘するよう呼びかけた。中国共産党の積極的な推進の下、国共合作を基礎とする抗日民族統一戦線が正式に形成されたのだ」と主張。「日本人も見落としているが、5000年以上の文明と歴史を持つ中華民族は、ひとたび存亡の危機に陥れば民衆の愛国心が覚醒し、驚くべき力を爆発させることができるのだ」とし、「侵略に抵抗し、滅亡から逃れ生き残りを図ることは、中国の各党派、各民族、各階級、各階層、各団体および海外の華僑・華人の共通の意志と行動となっている」と論じた。
また、「統計によると、全民族抗戦光線が勃発してから徴兵数は湖南省だけで210万人余り。平均して14人に1人が戦場に赴いた」「楊靖宇(抗日パルチザンの指導者)は木の皮をかじりながらしぶとく戦い続けた。英雄らの度重なる快挙は日本帝国主義に抵抗しようとする強大な力を結集させた。抗日を支援する華僑団体は3500余り設立され、抗戦のために寄付した華僑は当時の全世界の華僑人口のおよそ半数にあたる400万人余り。また、各国の多くの華僑が帰国して戦場で血を流した」などとし、「中国人民は日本軍ののさばった威勢をたたきのめしたのである」と主張した。
そして、「1945年9月2日に日本が戦艦ミズーリ号上で降伏合意に署名し、翌3日に中国人民は感激の涙を流した」とする一方、「今日の中国はもう1937年の中国ではない。生気に満ち、希望に満ちた中国は世界の東方にそびえ立っている」とした上で、「七七事変(盧溝橋事件)は今日の中国国民に、原則のない譲歩と妥協では平和と安寧は手に入れられないということを教えている。中華民族全体がしっかりと団結し、敢然と戦い、勝利してこそ、困難に打ち勝ち、生きるチャンスを勝ち取ることができるのである」と論じた。(翻訳・編集/北田)
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