茶とはそもそも、どのような存在なのか―専門家が起源・文化・伝播など全面的に解説

中国新聞社    2022年9月4日(日) 23時0分

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日本人の生活にも「茶」は溶け込んでいる。なにしろ「日常茶飯事」と言うぐらいだ。その喫茶の習慣が確立されたのは中国だ。

日本人の生活にも「茶」は溶け込んでいる。なにしろ「日常茶飯事」と言うぐらいだ。その喫茶の習慣が確立されたのは中国だ。中国は「茶文化古国」であり、「茶葉生産大国」であり「喫茶大国」でもある。国家一級茶評価師の称号を持つ浙江大学茶葉研究所所長の王岳飛教授はこのほど、中国メディアの中国新聞社の取材に応じて「茶とはどのような存在か」について語った。以下は王教授の言葉に若干の説明内容を追加するなどで再構成したものだ。

■中国では、肉体の維持にも精神生活にも必要と考えられた

中国人が茶の利用を始めたのは5000年あるいは6000年前とされている。最初は薬として生で食べ、次に加熱して食用にした。さらに煮出して飲用し、熱水で浸出させる方法も出現した。

茶には700以上の成分があり、健康維持にも役立つために多くの民族の生活必需品になっている。モンゴル民族など遊牧民は新鮮な果物や野菜が不足するために、茶を飲むことでビタミンを補充した。

中国には「柴・米・油・塩・醤・酢・茶」の言い方がある。また「琴・棋・書・画・詩・酒・茶」と並べられることもある。前者は、火を起こして食べ物を作るために必要なものであり、締めくくりとして茶が登場する。後者は文化面のたしなみを並べたものだ。つまり茶は、肉体の維持のためにも高尚な精神生活を営むためにも必要なものと考えられた。

商品経済が形成されると、人々の生活条件は改善される。そうすると、文化面での欲求も強まる。中国では茶器が発達するなどで茶文化がさらに発達した。茶文化は民衆の日常生活に溶け込み、人と人のコミュニケーションを促進する役割も果たした。

■中国から世界各地に拡散、医学的効果の科学的解明も進む

中国では茶葉の生産が極めて盛んだ。茶の栽培できる地域のほとんどに「良茶」が存在する。茶は経済作物として非常に重要だ。中国では3000万人以上の農家世帯が、茶葉に頼って生計を立てている。

世界に目を向けても、茶は64カ国で生産されており、うち30の国と地域が安定的に茶葉を輸出している。輸入しているのは150以上の国と地域だ。そして160以上の国と地域で、茶を飲む習慣が定着した。

その中でも中国はやはり「世界に冠たる茶大国」だ。2020年時点の全世界の茶葉の生産量は626万9000トン、うち中国は298万6000トンで世界第1位だった。全世界の茶葉の作付面積は約509万8000ヘクタールで、うち中国は世界第1位の316万5000ヘクタールだ。中国における茶葉の生産量は全世界の約47.6%、消費量は約41.7%、輸出量は約19.1%だ。

中国は最も古い茶の輸出国でもある。輸出が始まったのは5世紀で、東アジア、南アジア、中央アジア、西アジアに販路は拡大した。

世界各地で茶葉が歓迎された理由は、まずは薬効だった。茶葉の眠気を除去する作用や、精神を明晰にしたり気力を高める効果などが注目された。

7世紀には、中国で修行した日本と韓国の僧侶が「薬用品」として茶の木を母国に持ち帰った。栄西禅師は日本で茶を広めた先駆者の一人だ。1925年には栄西が茶を献上した源実朝将軍の熱病が快癒したことで、日本では喫茶の風潮がますます盛んになった

15世紀には大航海時代が始まり、世界各国はより密接に結びつけられるようになった。茶葉の不思議な薬効もさらに広く知られるようになった。オランダ東インド会社は、緑茶の茶葉をマカオからインドネシアのジャワへ運び、さらに欧州に運んだ。このことで、欧州でも喫茶の風習が定着しはじめた。

英国は、欧州でも特に茶が好まれる国だ。王室が率先して茶を飲んだので、喫茶は貴族が追求するファッションになった。喫茶は更に、社会の各階層に広まった。英国人は眠気を覚まし、疲れを取り、酒の酔いを覚まし、消化を助けるなどの効果を知り、長期にわたって飲用しても副作用がないことも発見した。中英間の茶貿易は17世紀から18世紀初めにかけて徐々に発展した。

世界で最も進んだ国だった英国は、欧州の流行をけん引した。中国茶の人気はさらに高まった。17世紀末当時は、中国からの茶葉輸出は磁器や陶器を上回り、輸出貨物の約9割を占めていた。

時代が下ると科学的な研究も進んだ。1987年には、日本人研究者の冨田勲氏が、茶ポリフェノールに人のがん細胞の活性を抑制する作用があると報告して、世界中から注目された。米タイム誌は2002年に発表した十大健康食品の一つに緑茶を選んだ。

■人類は茶を通じてよりよい生活を共有できる

中国では喫茶の方法や関連文化が高度に発達したが、世界各地に中国の茶文化がそのまま伝わったわけではない。中国の茶文化は、世界各地の茶文化の言わば「ゆりかご」になった。英国、日本、韓国、ロシア、モロッコなど世界各地で、現地文化と融合する形で、それぞれの茶文化が形成された。

日本を例にしよう。中国と日本は歴史を通じて交流が極めて盛んだった。唐代(608-907年)、宋代(960-1279年)、明代と、中国の茶文化は日本に影響を及ぼし続けた。日本に特に大きな影響を与えたのは、南宋時代(1127-1279年)の「点茶」だった。

「点茶」とは、当時の文人が好んだ茶の作法で、まずは茶葉を大きく固めた「茶餅」と呼ばれるものを用意する。この「茶餅」の一部を細かく砕き、熱湯を注いで練り、素早くかき回して細かく濃密な泡を立てる。

この「点茶」が日本に伝わった。日本では「点茶」にさらに工夫が加えられ、最終的に「抹茶道」として完成された。「抹茶道」は、相手に対する「礼」を示す純日本風の文化と考えられるようになり、国賓を接待する際などにも用いられるようになった。

世界は茶を通じて共通するものを味わい、共通するものを楽しむことができる。国連が2019年に、5月21日を「国際お茶の日」に定めたのはよい流れと思う。

この日は、世界各国における茶に関する長い歴史と深い文化的・経済的意義を認識することを目的として設けられた。また、茶の生産加工が特に開発途上国では、何百万もの家族の主要な生計手段となっていることにも着目して「茶の持続可能な生産、消費、貿易を促進し、産業分野としての茶が極度の貧困の削減、飢餓の撲滅、自然資源の保護に役割を果たせるよう、世界、地域、国レベルの各関係者への機会を提供する」ことも念頭に置く、意義深い日だ。

現在では全世界の半数近くの30億人以上が毎日茶を飲んでいる。茶は、文化の融合と相互学習をもたらすものであり、産業としては貧困撲滅を推進する手段にもなる。世界の人は茶の香りと風味を楽しむことで、よりすばらしい生活を共有することができる。(構成 / 如月隼人

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