チベット美術とインドの結びつきを強調するのは間違い―研究者が語るその理由

中国新聞社    2022年9月13日(火) 23時0分

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浙江大学漢チベット芸術センターの謝継勝教授は、チベット美術とインドの関係をとりわけ強調するのはおかしいと主張する。写真はチベット美術の代表的ジャンルの一つであるタンカの例。

チベットは独自の文化が花開いた地だ。これまで西側の学者は、チベット文化の中核をなす仏教がインドから伝来したこともあり、チベット美術についてもインドの影響を強調する傾向があった。しかし浙江大学漢チベット芸術センターの謝継勝教授は、中国(漢族)芸術の影響が極めて大きいと主張する。謝教授はこのほど、中国メディアの中国新聞社の取材に応じて、チベット美術の歴史的発展と現状について解説した。以下は、謝教授の言葉に若干の説明内容を追加するなどで再構成したものだ。

■チベット美術の代表的分野のタンカに水墨画の影響

タンカはたしかに色鮮やかなチベット仏教の巻物絵または掛け軸だ。形成されたのは約11世紀前後、つまり中国の年齢区分で言えば五代から宋代にかけてだった。この時期は漢族文化の中心地である中原で、巻物絵の形式が整った重要な時期でもある。チベット地区のタンカと漢地の掛け軸の表装はいずれも、魏晋から隋・唐の時代の宗教儀式で使われた「飄幡(吹き流し)」の影響を受けている。

チベット族の祖先が樹立した吐蕃は、現在のチベット族居住地よりも広い領域を支配した。吐蕃は敦煌を70年近く支配した。この時期に、敦煌の美術様式は青海省やチベットに伝わった。チベットのガリ地区のカゼ渓谷で近年発見された仏塔のうち、10世紀前後の仏塔の塔壁に描かれた菩薩は完全に敦煌菩薩様式だった。チベット自治区ロカ市の寺に残る敦煌様式の絹布画は、チベット最古のタンカと見なせる。

タンカの表装に直接影響を与えたのは、宋代に登場した掛け軸の様式である宣和装だ。タンカを錦で表装する伝統が、漢地の巻物や掛け軸に由来することは間違いない。

タンカは歴史を通じてさまざまに変化した。早い時期にはインド美術の影響を受けた構図で、鉱物顔料を使った暖色系の色彩だった。しかし中国の元代(1279-1368年)から明代(1368-1644年)にかけては、漢地で盛んになった青緑系の山水画の影響を受けた。また、漢地で流行した仏陀と弟子を題材にした仏画の影響を受けた。また、漢地では衰退した画風が、タンカでは継承される場合もあった。

■色鮮やかな旗に描かれる図柄にも漢族思想の影響が


チベット文化と漢文化の融合を示すもう一つの好例が、ルンタと呼ばれる旗だ。チベット族やチベット仏教を受け入れたモンゴル族の居住地では、街道の交叉点、川辺、民家の屋根、山頂、仏塔の周囲など至るところで、鮮やかで豊富な色彩の大量のルンタがはためく様子を見ることができる。ルンタを掲げることで、人々に吉祥と幸福がもたらされると信じられてきた。

ルンタには木版印刷によって図柄や文字が記されている。まずこの木版印刷が、漢族との交流によってもたらされたものだ。図柄として代表的なものは、中央に宝馬がいて周囲を獅子、青竜、金翅鳥または朱雀、白虎が配されている。周囲の四獣は、漢族が四方を守ると考えた四神獣と同じだ。また、中央の宝馬の本来の色は黄色で五行説の「土」を示す。周囲の四獣も、それぞれ金、水、木、火に対応する。すなわちルンタの考え方の本質は漢族の五行説と同一だ。

西洋にはチベット芸術とインドのつながりを重視して「インド・チベット芸術」、「インド・ネパール芸術」との呼称も発生した。たしかに、チベット仏教の図像体系の中にはインドに由来するものも多い。元をたどればヒンズー教の神に行きつく場合も多い。チベット美術とインドとのつながりが重視されたのは、仏教がインドから伝わったことも影響している。しかし、例えば漢族の仏教芸術がインド芸術に属するとは言わない。同様の理屈で、ある特定地域の芸術を、他の芸術体系に単純に帰属すると見なすことは出来ない。

吐蕃統治時代の敦煌芸術は、唐代の芸術スタイルに極めて近い。しかしこれまで、一部の西洋の学者は、莫高窟などの吐蕃時代の壁画や、チベット語の経文が発見された洞窟から同様に発見された10世紀前後の敦煌絹画などを、「チベット芸術」に属するとは考えていなかった。しかし、敦煌の芸術品が青海やチベットの芸術と密接な関係があるのは明らかだ。さらに、敦煌の美術遺構とインド芸術に直接の関係はなく、むしろ漢地との芸術交流を反映していることが多い。

チベットの仏教芸術がインド芸術の影響を多く受けたのは11世紀前後だった。しかしこの時期のタンカは同時に漢地の影響を強く受けていた。

インドでは約13世紀前後には仏教が衰退した。そのため、チベット地区とインドのつながりも次第に小さくなった。ただし、ネパールのカトマンズで成立した王朝は仏教を重視しており、インド東部に残っていた芸術を継承して新たなネパール様式の芸術を生み出した。チベットの壁画芸術は、このネパール芸術の影響を受けた。

チベットでは15世紀になると、元や明の芸術やその他の地域の芸術スタイルを吸収した。このことで、独特なチベット芸術が完成へと近づいた。ロカのゴンカクデ寺やギャンツェ県のパルコン・チューデ寺に残る芸術品は、成熟したチベット芸術の代表的作品だ。

■現金収入獲得のための美術品制作は悪いことではない

私は1982年7月に大学を卒業した後、チベット自治区党委員会組織部で2年間勤務し、その後はチベット学の研究のために数十回にわたりチベットに足を運んだ。

私は、チベットでは各分野で驚天動地の変化が進行する様子を見てきた。文化財保護事業にも大きな進展があった。国はすでにポタラ宮や重要な寺院について、修繕や補強を繰り返し行っている。古建築は地質の変化や落雷やひょう、さらに木材が朽ちて損傷を受ける場合があるが、それらのリスクは解消された。自治区政府は、石窟について綿密な調査を行って、適切な保護措置を制定した。チベット文化財部門は数回にわたる文化財の全面的な調査を行い、タンカ、金銅仏などの移動可能な文化財のおおよその系統図を把握し、記録した。

近年のデジタル文化財保護技術の発展に伴い、チベットの文化財管理部門も壁画やタンカなどデジタル化に適した遺産のデジタル保存を計画した。すでに多くの作業が行われている。

タンカについては、経済的側面も無視できない。中国全体が裕福になったことで、独特の美術品を入手しようと考える人も増えた。チベットではタンカの画法を学ぶ若者が増加中だ。伝統的な画法をそのまま受け継ぐだけでなく、タンカの伝統的なスタイルを取り入れることで、チベット現代芸術の発展を試みる者もいる。それらの「タンカ産業」の活性化が、より多くのチベット族芸術に新たな収入源を提供している。

芸術上の創造は、人類文化の発展にとって極めて重要だが、社会の動きの一環として出現するものだ。経済面も関連してタンカ制作の動きが盛んになることは、芸術の発展にとって好ましいことだ。(構成 / 如月隼人

※記事中の中国をはじめとする海外メディアの報道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現地メディアあるいは投稿者個人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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