Record China 2022年9月10日(土) 12時0分
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中国のスポーツメディア・新浪体育は7日、「サッカーとスポーツから語る日本人の民族的性格」と題する記事を掲載した。
記事はまず、2018年に行われたサッカー・ワールドカップ(W杯)ロシア大会の日本VSポーランド戦で日本が相手にリードを許しているにもかかわらずボール回しをして時間稼ぎをし、自らのグループリーグ突破を他会場の結果に委ねるという作戦を取ったことに言及した。
その上で、「W杯における醜いシーンであり、場内からは大ブーイングが起きた。日本はスポーツマンシップを踏みにじったと批判され、功名心のために恥もなくなったと評するメディアもあった。西野朗監督は試合後に謝罪の言葉を口にしたが、多くの日本人は『負けてグループリーグ突破』を街に出て喜んだ」と紹介した。
そして、「日本人と付き合うとよく感じることがある。彼らに意見や批判をすると、笑顔で会釈したり、『はいはい』と言ったりするが、その場を離れると何も変わらずにふるまっていることがある」とし、上記のポーランド戦のような場面が日本のスポーツ界ではよく見られるとした。
そして、「原則や恥も大切だが、いざという時には目的と実用を取る。この実用主義への究極の追及は、日本の社会と文化において貫かれているようで、歴史の節目には必ず見られる真の姿である」と指摘。「日本人は海外から持ち込んだものを何でもかんでも改造する。すべては実用性のためであり、学びの対象は敵を含む」とし、例として中国から伝わったうちわを改良して扇子を作ったこと、中国から伝わった衣服を基に着物を作ったこと(諸説あり)を挙げた。
また、「鎌倉時代までは戦で刀や薙刀(なぎなた)を使用していたが、侵攻してきた元の槍(やり)が野戦に適していると感じ、戦国時代には槍が多用されるようになり、七本槍の逸話も生まれた」とした上で、「武士の刀はメンツや地位の象徴だが、本当に命が懸かかれば便利なものは何でも使うのである」と説明。「日本人は相手が強者であると認識すれば、例え敵であっても崇拝の念を抱き、その長所を全力で学ぶのである」と論じた。
記事は再びスポーツに話を戻し、日本がJOCナショナルトレーニングセンターを設立して卓球の代表選手が集中して練習できる環境を整えたことを挙げ、「これは中国卓球の挙国体制に学ぶものだ」と主張。「意外かもしれないが、サッカーにおいても日本は中国に学んだ。1980年代には沈祥福、賈秀全ら中国代表選手が日本でプレーし、後にコーチとして日本人選手を指導した。沈は『私たちのレベルが日本よりも高かったので、日本側が求めてきた。日本人は相手がだめなら軽蔑し、強ければ尊重するんだ』と当時を回想している」と続けた。
また、「日本人がどのような姿勢を見せるかは、その時点での両者の実力に懸かっている。そして、その強弱は変えることができる」と指摘。「歴史上、アジアの大陸の政権が全盛のころは日本は謙虚に教えを請うたが、自らが十分に強いと見るやその仮面を脱ぎ捨てた。同時に、日本の強者崇拝は冷酷な一面も持っている。強弱の区別があるだけで、絶対的な善悪の区別はないのである。強者は弱者に対して思うままに振る舞う権利を持ち、弱者は従順に受け入れることが当たり前とされている」とした。
そして、「江戸時代に武士が平民を斬ったのは従順ではないからという理由だけかもしれないが、こうした力づくのDNAは中国侵略戦争の際に日本軍による中国の庶民への残虐性として現れたのである」としたほか、浅井長政の織田信長に対する裏切りや本能寺の変で明智光秀に討たれたことなどを挙げ、「強弱階級で定義された社会秩序の中で、忠義はいつでも捨てられる付属品だ。日本人は天皇に忠誠を尽くすと言われるが、実力ある大名は天皇を操り人形にしてきた」とも論じた。
記事は、「戦後の日本は平等で自由な社会を築き、新世代の若者はわがまま、仏系(どうでもよいという意味合いの言葉)、他者と競わないという新たなレッテルが貼られているが、それでも同じ国と民族である。歴史は骨の髄に溶け込んだ遺伝子であり、その国民性は永遠の烙印(らくいん)なのである」と結んだ。(翻訳・編集/北田)
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