1990年10月3日の東西ドイツの統一から今年で33年。昨年末に第22回大佛次郎論壇賞の受賞が決まった板橋拓己著『分断の克服1989-1990――統一をめぐる西ドイツ外交の挑戦』は、ゲンシャー西ドイツ外相を中心に関係各国の対応を緊迫感あふれる筆致で活写するとともに、統合はあのやり方で良かったのかという疑問を投げかける。そして、われわれ日本人は、もし日本がドイツのように分断されていたらどうなっていたのだろうかという歴史のイフに改めて向き合わざるを得ない（肩書はいずれも当時）。

東独最後の「第九」を聴く

私事で恐縮だが、1990年前後に通信社の特派員として欧州に駐在していた私にとって、東西ドイツの統一は忘れられない出来事だ。経済記者だった私は、統合取材の主担当ではなかったが、節目節目でベルリンに赴き、イベントの様子を記事にしたり市民の声を聴いたりした。第二次世界大戦の結果、東西に分断されていた二つの国が、戦後45年を経て平和的に統一されるという歴史上稀有な出来事を現場で取材できたのは、一生の宝物だ。

中でも印象に残るのが、東ドイツ最後の日となった90年10月2日、東ベルリンで統一前夜祭として行われたベートーベンの第九交響曲「合唱」の演奏（ライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、クルト・マズア指揮）を鑑賞できたことだ。コンサートホールにはコール西独、デメジエール東独の両首相はじめ要人が多数出席し、東ドイツで最後となる第九の演奏に聞き入った。数少ない報道関係者席の一つが運よく割り当てられたため、私は会場に入ることができたが、見渡したところ出席者はほぼすべてドイツ人か、欧米の外交官など。日本人でこの歴史的な演奏を聴いたのは私だけだったかもしれない…というのがひそかな自慢だった。

サッチャー、ミッテランの反対

ところが、「分断の克服」を読んで、そんな甘い郷愁は吹き飛んでしまった。私は、前述のようにこの事案の主担当ではなく、表面的な取材しかしていなかったので、「ドイツ統一は、多少の紆余曲折はあったものの、全体としては比較的順調に進んだ。ベルリンの壁崩壊（89年11月9日）からわずか1年足らずで実現したのはその表れ」と認識していた。しかし同書は、20世紀に2回にわたり大戦争を引き起こしたドイツの統一が誰からも歓迎されていたわけではなく、実現までには熾烈な外交戦が展開されていた事実を突きつける。

中でも驚かされるのが、英国のサッチャー首相、フランスのミッテラン大統領のドイツ統一への否定的な姿勢だ。ヒトラー時代を生々しく記憶している彼らにとって、欧州の真ん中に人口8000万人の大ドイツが再興することは容易には認められなかったのだろう。両国はこの時点でも、戦勝国として米ソと共にベルリンを分割管理していたので影響力は無視できない。特にサッチャーは強硬で、89年12月のミッテランとの会談では、「（統一を急ぐ）コールは、ドイツの分断は、ドイツが始めた戦争の結果だということを忘れている」と言い放った。

同書では、ゲンシャーら西ドイツの外務省が中心となって、統一を熱望する東西ドイツの世論や、米国の支持などを背景に、英仏両国に統一を認めざるを得ない状況を作っていく様子が描かれる。サッチャーは最後まで反対していたが、ハード英外相に、もはや流れは止められない、統一プロセスに関与する方が英国の利益になると説得されたという。

「和解型」の統一は実現せず

とはいえ、西ドイツ政府にとって英仏以上に重要かつ難問だったのが、ソ連の理解を得ることだったのは言うまでもない。同書はゲンシャーが、ドイツの統一は欧州全体の分断を解消する中で実現させたいとして、「西側の勝利、東側の敗北」ではなく「東西の和解」の形で決着させようと努力する姿を描き出す。具体的には、西側の北大西洋条約機構（NATO）と東側のワルシャワ条約機構をそれぞれ軍事同盟から政治同盟に転換し、両者が協調して欧州全体の統合を目指すという遠大な構想だ。そんなゲンシャーを、ソ連のゴルバチョフ大統領、シェワルナゼ外相も信頼するようになる。

しかし最終的には、米国の意向もあって欧州全体の分断解消は後景に退き、ドイツ統一だけが実現する。それも西が東を吸収するという、ソ連にとっては屈辱的な形で。そして91年暮れのソ連崩壊後、かつてワルシャワ条約機構に加盟していた東欧諸国や、ソ連を構成していたバルト三国などが相次いでNATOに加盟したのは周知のとおりだ。

東西ドイツの統一が、ゲンシャー構想のような「和解型」で実現していたら世界はどう変わっていたか。板橋氏は同書の中では明言を避けているが、12月21日付朝日新聞で次のように語っている。「構想が完全に実現する可能性は低かったでしょう。ただ、実現していれば（ロシアのウクライナへの）侵攻はなかっただろうと思います」。33年前の東西ドイツ統一は、現時点における世界最大の懸案にもつながっているのだ。

終戦が遅れれば日本も分断されていた？

さて、こんな本を読むと、どうしても日本と引き比べて考えざるを得ない。

日本も第二次大戦の敗戦国だが、幸いにもドイツのような分断は避けることができた。しかし1945年8月16日、すなわち昭和天皇がポツダム宣言受諾による降伏を表明した翌日、ソ連の独裁者スターリンがトルーマン米大統領に北海道北部の占領を要求する書簡を送ったのはよく知られている。トルーマンは2日後に要求を拒否する返信を送り、スターリンも同22日に北海道上陸作戦の中止を指示した。ところが昨年8月16日付読売新聞によると、ソ連軍部は中止命令後も、北海道全島や対馬を占領する計画を立てていたとする資料が見つかったという。

それだけではない。半藤一利氏の著作などによると、米国軍部にも、終戦後に米国、英国、中国、ソ連で日本を共同統治する計画があったという。日本の降伏が早かったため日の目を見なかったが、計画では、北海道と東北地方はソ連軍の管理下に入るはずだった。もしこれが実現していたら、北日本には間違いなく「日本社会主義人民共和国」的な国家が成立していただろう。

日本がポツダム宣言受諾を最終的に決めた8月14日から15日未明にかけて、陸軍の一部が降伏を阻止するためクーデターを企てた事実は半藤氏の「日本のいちばん長い日」などに詳しい。もしクーデターが成功して「聖戦貫徹」を唯一の旗印に掲げた軍部独裁政権が誕生していたら…。日本はさらに数カ月かそれ以上、ドイツと同じように首都が陥落するまで戦いを続け、その上で分断されていたかもしれない。そして、現在も冷戦構造を引きずっているアジアの現状を見る限り、ドイツのように戦後45年で分断が解消できたとは考えにくい。改めて、あのタイミングで戦争が終結した幸運に感謝するばかりだ。

■筆者プロフィール：長田浩一

1979年時事通信社入社。チューリヒ、フランクフルト特派員、経済部長などを歴任。現在は文章を寄稿したり、地元自治体の市民大学で講師を務めたりの毎日。趣味はサッカー観戦、60歳で始めたジャズピアノ。中国との縁は深くはないが、初めて足を踏み入れた外国の地は北京空港でした。