人生90年の足跡―体験で語る日本と中国―(7)「文化大革命」の試練と目覚め

凌星光    2023年5月6日(土) 5時0分

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コラム「人生90年の足跡―体験で語る日本と中国―」第77回は「文化大革命の試練と目覚め」。

7.「文化大革命」の試練と目覚め

1966年に「文化大革命」が始まり、もちろん私も当初は積極的に参加しました。1967年1月、派閥(造反派)間の奪権闘争が展開され、私は対立派閥の圧力の下、「現行反革命」のレッテルを貼られました。高い紙帽子をかぶせられ、もう一人の派閥同僚と共に中庭で振り回されました(戴高帽游街)。理由は資本家出身の私が奪権(権力奪取)するのは反革命というわけです。当時、私の妻と子供は北京、私は天津と別居生活にありました。この時受けた精神的プレッシャーは大変なものでした。

その後、軍から代表が派遣されて、混乱の収拾が図られました。しかし、私のような海外関係がある者はほとんどの人がスパイ嫌疑をかけられました。お互いに暴き合い、自白させる小集会が開かれました。ある集会は明らかに私に向けられたものでした。「帰国する時に自動車を持ち帰った資本家出身者がなぜプロレタリア階級の国に来たのだ、どんな任務を帯びてきたのか、早く白状しろ!緊張した心が顔に出ているぞ!」と言うのです。軍代表が事前に手配したものです。私は自分には自信があり、平然と対応しました。

文革の試練を経て、共産党に対する見方、指導者に対する見方が変わりました。それまでは、党は正しく、指導者も正しく、自分は忠実に実行すればよいという姿勢でした。ですが、党も間違いを犯す、指導者も必ずしも正しいとは限らない、自分は主体性を持って提案しなくてはならない、という姿勢に変わりました。これは党や政府に対する盲目性からの目覚めというものです。以来、口頭でまたは書面で多くの提案をしてきました。

文革でのもう一つの重要な教訓は絶対に「虚偽の証明」をしないことです。私自身は軟禁されることも、殴打されることもなく、「虚偽の証明」をしたことはありませんでしたが、拷問に耐えかねて「虚偽の証明」をした結果、一連の冤罪を引き起こす悲劇を数多く見てきました。これは文革を経験した多くの人の教訓で、今は冤罪防止の制度化が進み大きな改善を見ています。ですが、SNSを通じた新しい形の「虚偽発言」「虚偽証言」が社会を乱さないよう注意する必要はあります。

1969年、私は天津市郊外の農村にある芦台「五・七幹部学校」に下放されて、「貧農・下層中農」の再教育を受けることになりました。しかし、2年足らずで呼び戻されて、新しい仕事に就くことになりました。

■筆者プロフィール:凌星光

1933年生まれ、福井県立大学名誉教授。1952年一橋大学経済学部、1953年上海財経学院(現大学)国民経済計画学部、1971年河北大学外国語学部教師、1978年中国社会科学院世界経済政治研究所、1990年金沢大学経済学部、1992年福井県立大学経済学部教授などを歴任。

※本コラムは筆者の個人的見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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