関公文化はなぜ広く世界の華僑華人に影響を与えるのか―研究歴40年の専門家が紹介

中国新聞社    2023年6月5日(月) 22時30分

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中国は、実在の人物でも神として信仰の対象になり得ることで日本に似ている。そんな中でも、極めて熱心に信仰されているのが関羽だ。特に海外華人にとって重要な信仰の対象という。写真は横浜の関帝廟。

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中国は、実在の人物でも神として信仰の対象になり得ることで日本に似ている。特に人気が高い中国の歴史物語の「三国志演義」では、多くの登場人物が神として拝まれるようになったが、最も広範かつ熱心な信仰の対象になったのは関羽だ。関羽の場合、中国から外国に移住した華人と呼ばれる人々に特に熱心に拝まれる特徴もある。なぜなのだろう。関羽文化を長年にわたり研究してきた湖北大学と長江大学で客員教授を務める朱正明氏はこのほど、中国メディアの中国新聞社の取材に応じて、その辺りを説明した。以下は朱教授の言葉に若干の説明内容を追加するなどで再構成したものだ。

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理想的な人格の持ち主として信仰の対象に

史料によると、関羽は西暦160年に現在の山西省運城市解州鎮常平村で生まれた。創作部分の多い「三国志演義」などで、関羽の物語は大いに膨らんだ。しかし正史でも関羽は「虎臣」、「万人の敵に立ち向かう」とされ、史官から「威光をとどろかす英雄」と称賛された。関羽は敬意を込めて関公、関帝と呼ばれるようになった。

歴代の帝王は関羽を「忠義」の化身、「仁勇」の象徴とみなし、計16人の帝王が関羽に爵位を与えるなどした。そして、すでに民間で信仰の対象になっていた関羽を「昇格」させて、皇室の祭祀の対象とした。北宋の徽宗(在位:1100-1126年)は関羽の称号を何度も引き上げて最後には「義勇武安王」とした。明の万暦帝(在位:1573-1620年)は関羽を「三界伏魔大帝神威遠震天尊関聖帝君」とした。

儒教、道教、仏教はいずれも、関羽を崇拝した。隋の煬帝(在位:604-618年)は、まだ晋王・楊広と称していた時期に、高僧の進言を受け入れて関羽を「伽藍護法神」にした。道家では関羽を「伏魔大帝」として尊ぶ。儒家は関羽を「武聖」とした。

関羽を称える物語は、関羽が死んだ周辺地域で最も早く広まった。民話が広く伝わるにつれて、関羽はますます完璧な人物とされて神格化されていった。

関公文化は、関羽の長所である「忠・義・仁・勇・誠・信」と関係する。儒家の道徳観や倫理観にも合致する理想化された人格だ。人々が関羽に見出した人格は、今を生きるわれわれの価値観と相通ずるものがある。

関公文化が広く伝わるにつれ、多くの関連する文化遺跡が残されることになった。中でも河南省洛陽の関林、湖北省当陽の関陵、山西省解州の関帝廟が最も有名で、中国大陸の三大関帝祖廟と呼ばれている。湖北一帯だけでも荊州関府、武昌卓刀泉、漢陽関公洗馬口、当陽古麦城跡、遠安回馬坡、当陽玉泉山など多くの古跡がある。

海外移住者が心の支えにした関公

関公文化は中国人の海外移住に伴って、国外にも広がった。中国人、主に広東や福建の沿海部住人の海外移住が本格化したのは、アヘン戦争(1840-1842年)以降だった。ある者はゴールドラッシュに沸くサンフランシスコを目指した。米大陸横断鉄道の建設工事に加わった者もいる。パナマの大運河の建設の仕事を見つけて移住した者もいる。東南アジアに新たな世界を求めた者もいた。華僑華人の大移動は、困難と困苦の中で幕を開けた。

故国を離れた華人の多くは、関羽に平安吉祥を祈願することを忘れなかった。このことに伴い「忠義・仁勇・誠信」の関公精神が海外に発揚され、関帝廟が増えていった。

関公文化は中国だけのものでなく、世界のもの

私はこの40年間、世界各地の関公文化の担い手と交流してきた。東南アジア、日韓などのアジア地域、米国、カナダ、キューバ、パナマなどの米大陸、モザンビーク、セーシェル、モーリシャス、マダガスカルなどのアフリカ諸国などにも関帝廟がある。関羽は華人はもちろん、それ以外の現地住民の信仰の対象になっている場合が珍しくない。

国土が小さなシンガポールには、関帝の殿堂が30カ所以上もある。香港には40カ所余りの関帝の殿堂がある。台湾には700カ所以上の関帝の殿堂がある。いずれも地元民の圧倒的多数が熱心に信仰している。台湾の各関帝廟と信者グループは毎年、関帝の誕生日と秋の時期に、福建省東山島や大陸各地に行って、大陸側の関公文化祭に参加し、海峡両岸の繁栄と繁栄を祈っている。

大まかな統計によると、関公文化の影響はすでに世界160の国と地域に及んでいる。関公文化が海外に進出したことは、世界の文化の多様性を豊かにしたことでもある。

海外における関公文化は、所在国の経済に貢献している。例えば2015年に始まったマレーシア国際関公文化祭には現在、同国の8の州で関連行事が行われ、地元華人だけでなく、中国、タイ、ベトナム、インドネシア、シンガポールなどかどから大量の信者が訪れるようになった。そのことで開催地には経済効果がもたらされる。

また、関公文化によって、現地の華人と非華人の交流を活発にして友情を増進することができる。例えばパナマ華商総会は13年連続で関帝の祭礼行事を開催してきた。その際には、パナマ政府関係者を招待し、一般民衆ともども中華文化の理解を深めてもらう。今では関帝の誕生日になると、多くのパナマ国民が関帝廟を訪れて香をたいて礼拝している。

さらに、海外に住む華人は、関公文化を通じて血のつながりを感じることができる。オーストラリアのメルボルンに大洋州初の大型関帝廟殿が建設されたのは今から160年以上も前だった。現在では8000柱以上の華人先賢の位牌が安置されている。この場所は華人が故国を思い、先賢を祭り、互いに助け合う「聖地」になっている。

中国が世界に深く溶け込むにつれ、関公文化も世界で注目されるようになった。関公文化精神には中華文化の倫理、道徳、理想が含まれている。われわれは関公文化を大いに発揚し、東洋の知恵で人類により多くの調和のとれた付き合い方をもたらし、人類運命共同体の構築を共に進めねばならない。関公文化は中国だけのものでなく、世界のものであると言って過言でない。(構成 / 如月隼人

クアラルンプールの関帝廟

バンコクの関帝廟

※記事中の中国をはじめとする海外メディアの報道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現地メディアあるいは投稿者個人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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