中国新聞社 2023年6月19日(月) 23時0分
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1950年代からアニメに携わった林文肖さんは、中国アニメの「育ての母」と言ってよい存在だ。6月7日、雨が降りしきる上海で林文肖さんは生涯を閉じた。88歳だった。
中国はアジアで最も早くアニメが発達した国だ。1941年に公開された「鉄扇姫」は世界で4番目、そしてアジア初の長編アニメ作品で、手塚治虫がアニメ作家になろうと決意するきっかけになった作品だ。戦後になり、中国アニメは新たな道を歩み始めた。1950年代からアニメ制作に携わった林文肖さんは、中国アニメの「育ての母」と言ってよい存在だ。6月7日、雨が降りしきる上海で林文肖さんは生涯を閉じた。88歳だった。中国メディアの中国新聞社は関係者の言葉を交えて、林さんを振り返る記事を掲載した。以下は同記事に若干の説明内容を追加するなどで再構成したものだ。
林さんは生涯に50本以上のアニメ作品の監督を務めた。特に1980年代前後に生まれた中国人にとって、林さんの作品は子どものころの記憶と強く結びついている。訃報を受けて、SNSでは林さんを偲ぶ投稿が次々に寄せられた。
林さんは主に上海美術電影製作所(上美影)で仕事をした。林さんの「お弟子さん」で、同製作所の所長を務めたこともある人気アニメ監督の常光希さんは「林先生はとても小柄だったが、心は頑丈だった。3年近く闘病していたが、お見舞いするたびに、私たちと談笑して前向きな考え方を示された」と語った。
林さんは1953年に、北京電影学院アニメーション専攻科を第1期生として卒業し、上美影の前身組織に配属された。まず「驕傲的将軍(誇り高き将軍)」で原画制作の見習いをした。この作品の特偉監督は「民族風格の道を歩む」というスローガンを掲げ、京劇の隈取や音楽、伝統的な配色、水墨画風のシーンなどを取り入れた。「民族アニメを手掛ける」は林さんの生涯の信念にもなっった。
中国のアニメ系作品は1950年代後半から60年代にかけて、最初の黄金期を迎えた。最初のカラーアニメ「烏鴉為什麼是黒的(カラスはなぜ黒いのか)」、最初のカラー切り絵アニメ「猪八戒吃瓜(猪八戒、瓜を食う)」、最初の水墨画アニメ「小蝌蚪找媽媽(オタマジャクシが母を探す)」などだ。林さんが手掛けた作品も多い。1980年代になると、アニメは改めて活発に制作されるようになった。1970年代や80年代に生まれた人の心には、幼い頃に楽しんだ「三个和尚(三人の和尚)」、「九色鹿(九色の鹿)」、「雪孩子(雪の子)」、「黒猫警部(黒猫警察署長)」などが思い出として残っている。
常光希さんは「林先生が去ったことは、中国第2世代アニメ映画監督の時代が完全に終わったことを意味します」、「彼らは私にとって、師でもあり友でもありました」と語った。
常さんは、「林先生と一緒に仕事をしていると、彼女の人間味が感じられました。彼女は他人のアイデアや創作を尊重し、かつ大胆な革新を奨励しました」と回想した。常さんは「雪の子」の原画をデザインしたが、林監督は人物の造形を練り直すよう求めた。生きた人物の創作だ。林監督は「そうしてこそ、作品全体の美術的風格が確定します」と述べた。つまり、キャラクターデザインの重視だ。
常さんは林監督の指導に基づき、「年画」と呼ばれる年越しの際に家に飾る絵や、無錫泥人形などの伝統民間芸術から、鮮やかで明るい配色を取り入れ、冬の冷たい色調の中に活発で楽しい視覚効果をもたらした。
林監督は「雪の子」の結末部分で、感動的な演出をした。「雪の子」は溶けてしまう。この部分で大泣きする子も多かったという。しかし水はやがて蒸発して大気に上って雲になり、雪を降らせる。「雪の子」がまた地上に現れる。今まで泣いていた子は「やっぱり一緒にいられるんだ」と納得して笑みを浮かべる。
常さんは、「林先生は女性の繊細な優しさをこの作品に溶け込ませて、単純な物語を情感豊かにして、しかも深い哲理を込めました。深みと温かさが、林先生の鮮明な特徴でした」と説明した。
林監督は生前のインタビューで、新たな作品に取り組むたびに「ストーリーやキャラクターをじっくり分析して、自分の心の中に画面を出現させ、人物像を徐々に浮かび上がらせます。決まったやり方をしているのではありません」と説明した。
常さんによると、当時の映画制作者はよく、「他人の真似をしない。自分自身の反復もしない」と言っていた。どの作品にも革新が求められるとの考え方だ。林監督は若い頃、原画のデザインを担当していた。原画には人物の動きを表出する役割りがある。林監督は人物の情緒を把握するのが上手で、動作で人物を描写するために多くの工夫をしていたという。
上美影は1961年に「大鬧天宮(天宮で大暴れ)」を制作した。原画のデザインを担当した林さんと厳定憲さんは「西遊記」の原文を苦労して読み解き、北京の寺や敦煌などへの取材を繰り返し、表情や動作を何度も練り直した。この2人に常光希さんを加えた3人は2009年に、3D版「天宮で大暴れ」の芸術顧問に迎えられた。3D版「天宮で大暴れ」の監督の1人だった上海大学上海電影学院アニメ学部部長の陳志宏教授によると、厳さんと林さんはすでに古希を過ぎていたが、孫悟空や七仙女などの人物の造形や動作についてついて極めて詳しく説明し、演技やカメラのつなぎなどの細部でも多くのアドバイスを与えた。「往時の研究の深さが十分に分かった」という。
なお、厳定憲さんも極めて重要な中国のアニメ監督で、林文肖さんの夫だった。林さんに数カ月先立つ2022年12月26日に他界した。
林文肖さんはかつて、「雪の子」での雪の子とウサギがいつまでもじゃれあう情景で子どもの気持ちを表現したことや、「オタマジャクシが母を探す」では、オタマジャクシが岸の上に見たヒヨコと母鶏が一緒に進む足取りに引きつけられて追いかけて泳いでいくことことで、お母さんがいることをうらやましく思う子どもの気持ちを表現したと説明したことがある。
陳教授は「極めて誠実な創作姿勢です。林先生は本当に子どもの視点に立ち、子どもの心を理解し、子どもと同じ視線の高さで子供と心を通わせました。今日の子どもに見せても共感を呼ぶ完璧な物語です」と説明した。
上美影は追悼文で、「アニメーションは林文肖先生の生涯の理想であり追求の対象だった。彼女は中国アニメーションの多くの『最初』に立ち会い、参加した。中国初のカラーアニメーション、初の水墨アニメーション、初のワイドスクリーンアニメーション……。彼女は創作を通して、細やかな動きで人物の感情を表現し、『真・善・美』をアニメーション作品に優しく取り入れ、子供たちの心に美の種をまき、中国の美術映画、『中国アニメーション学派』、中国民族アニメーションに重要な貢献をした」と評した。
林さんが当事者だった「開拓年代」の中国アニメは国際的な大賞を受賞している。厳さんは生前のインタビューで、当時の中国アニメはストーリー展開や芸術処理などに独特なスタイルがあり、米ディズニーなどとは違うとして、欧米では「中国アニメ学派」と称賛されたと説明した。
林さんは国際アニメーション協会の会員であり、海外との交流が多かったが、自らのアニメーションに対する「不動の姿勢」を維持した。海外作品の学習に反対はしないが、目的は自らの作品を作ることであり、「持ってきてそのまま使ってはダメだ」と何度も言ったという。
陳志宏教授は、当時の中国人アニメーターの特徴を「まずは技術上の想像力です。例えば新技術を開発・応用し、切り絵アニメ、パペットアニメ、水墨アニメなど異なるスタイルを出現させました。次は物語を通して勤勉、勇敢、友愛、包容といった中国の伝統的精神を伝えますが、『説教』はしません。それから、海外からアニメの技術や理念などの栄養分を汲み取りますが、模倣にはとどまらず、自らのアイデアを加えます。最後に、クリエイターは、アニメを作る目的は興行や賞のためではなく『子どもに見せるため』という誠実な態度を堅持しました」と説明した。
中国のアニメは近年になり、新たな創作ブームを迎えた。今年の新作である「中国奇譚」は中国式の想像力と中国式の美学が融合した魅力を発揮し、「中国アニメ学派」の新たな伝承とされた。陳志宏氏は、「新世代のアニメーターが心を落ち着け、純粋な芸術精神と創作態度を先輩から学び、異常に速い技術の進歩が芸術作品もたらす悪影響を回避できれば、中国アニメは今後数年間で、より多くのよい作品を登場させるだろう」との見方を示した。(構成 / 如月隼人)
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