板門店から南北を眺めてみれば 「どちらが民主的か?」という皮肉な問い

北岡 裕    2023年8月22日(火) 14時50分

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意外と知られていないのだが、板門店は観光で訪れることができる。写真は板門店。北側から軍事停戦委員会本会議場を見る。十分走り抜けられる距離だ。

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8月16日付の朝鮮中央通信社は、7月18日にJSA(板門店)ツアー中に軍事境界線を越えたトラビス・キング米陸軍2等兵は不平等な米国社会に幻滅したと述べた上で北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国か第三国へ亡命を求めていると伝えた。

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意外と知られていないのだが、JSAは観光で訪れることができる。費用は日本円で約1万円。私は以前、南側から3回(1997年、2000年、2001年)と北側から2回(2004年、2015年)訪れている。実際にツアーに参加した経験を通じて判断するなら、今回のトラビス2等兵のように軍事停戦委員会本会議場のあるエリアで南側から北側に駆け抜けることは十分に可能。北側から南側も可能だろう。軍事境界線まで距離にして10mほどで、ダッシュすれば数秒で越えられる。

JSAツアーを受け付ける三進トラベルサービスのホームページ(2023年5月現在ツアーは休止中)には以下のような記載がある。

「下記のような服装は禁じられております。服装規定に違反する場合、板門店ツアーに参加できません。

◆汚れのひどいジーンズ・膝丈より短いズボン・ミニスカート・袖なしTシャツ・迷彩柄の服・トレーニングウェア・作業服・レザー服・サンダル・スリッパ・英単語やスポーツチームなどのロゴが大きく入った服や帽子

※服装についての規定は国連の責任者によって変更される場合がございます。

◆板門店本会議場内では北朝鮮側の備品(国旗やマイク)などに触ってはいけません。

◆板門店では北朝鮮側の人たちに対するどのような行動も一切禁止されています。

例)声をかける、手を振るなど

◆板門店および非武装地帯は軍事的特殊地域のため、軍事的またはその他の理由で観覧が中止になる場合がございます。その際は旅行代金の返金はできませんので、予めご承知置き下さい。また、現地事情により予告なしに見学地が変更や中止になる場合がございます。」

私が韓国留学中の2000年に南側から訪れた際はこのような事前の注意の多さに閉口した。女性が多い環境だったのでドレスコードへの注意が多く、特に穴が開いたジーンズを履いていると北側から撮影され、「資本主義の国のやつらは貧しい服装をしている」「こじきだ」などと説明される宣伝資料になる恐れがあるので気をつけるようにと何度も言われた。

当日は学校からバスに乗りJSAに直行。「命の保証はしません」という文面の文章にサインした。だがある段階を過ぎると、この仰々しさがどこか演出のようなものにも感じてくる。緊張を高めに高めてJSAに入ると、分断の事実の重みと「もしかするとここで死ぬかもしれない」という恐れにハラハラする。冷静に考えると、JSAが戦場になる時には間違いなくソウルも火の海になるのだが。私の妻も98年にJSAツアーに参加したが、昼食時間に北側で銃の暴発があったとのことで急きょ警戒態勢になり、昼食中にツアーを切りあげさせられた。

JSAに到着すると、ガイドを兼ねてバスに乗りこんでくる韓国人の兵士がいる。体格が良く、英語が堪能。総じてイケメン。聞くと実際に見栄えの良さも選考基準になっているという。

分断の風景をより感じるなら冬をお勧めしたい。底冷えのする空気と枯れた木々、目の前に広がる荒涼とした冬の風景。現在は中止されているが、北の宣伝放送がもの悲しく響いていた。

韓国映画「JSA」(2000年公開)では南北の兵士の交流が時にコミカルに描かれているが、これは非現実的といえる。97年に引率してくれた韓国人の兵士に聞くと、警備中に北の兵士が「おまえ、いい腕時計してるな。どこのメーカーだ」と声をかけてくることもあるという。2000年に同じ質問を別の韓国人兵士にしたら、こわばった顔で「その質問には答えられない」と返された。1997年と2000年の間に情勢が変わり、指導が入ったようだ。

北側から訪れた時は、南側とは対照的に緩かった。「命の保証はしません」という書類にサインさせられることもなく、ドレスコード指定もなかったので、黒のジーンズにダウンジャケットを着て行った。平壌から一直線に伸びる高速道路を数時間走り、検問に到着してしばらく進むと休憩所がある。ちょうどロシア人と中国人の団体がいて、多くの人がお土産売り場に群がっていた。彼らを引率していた朝鮮人ガイドにたばこの火を借りながら「最近日本人は来ていますか?」と聞くと、「全然来ませんよ。連れてきてくださいよ」と笑った。時間になると尉官、佐官クラスの軍人がやってきてJSAの現状を説明する。兵士も何人かいるが、南側の兵士に比べると体が大きくない。尉官の軍帽はつばの部分が不自然に高く、もしかすると彼は私よりも身長が低かったかもしれない。階級の低い兵士に「お疲れさんですね」と気さくに朝鮮語で話しかけると、「なんでこの日本人は朝鮮語が話せるんだ」と同僚の兵士にけげんな顔で話しかけていた。

板門店の中尉(26歳)と筆者(168センチ)。中尉の軍帽が大きいが身長はほぼ変わらないはず

2004年に引率した中佐にはしつこく「この現状を生んだのは誰のせいか」と聞かれ、私から「日本です。すみません」という回答を得るまで決して引き下がらなかった。

2015年に引率した中尉にはお礼にドライバーセットを渡した。そして「君はまるでぼくの弟みたいだね。かわいいもんだ」と話しかけると上機嫌。「今度“兄貴”が来たらお土産を用意しておきます」と言われたので、「日本にちゃんと持って帰れるものにしてね」とまぜ返したら兵士たちと大笑いしていた。

一方で途中からバスに乗り込んできた北の兵士たちの小銃AK-47には弾倉が刺さっていた。南側では刺さっていなかった。この点では南側よりも北側の本気度が高い。

ツアーの最後に必ず案内員が問う。「南から板門店をツアーで訪れると服装はじめいろいろと制限があるようですね。でも今日板門店を訪れて、わが国から訪れると非常に自由なことがよくお分かりになったかと思います。さて、北と南どっちが民主的でしょうね」と。分断の事実と緊張を演出する南。皮肉な笑いに昇華する北。「そりゃ北ですよ」と模範的に答えると、案内員はわが意を得たりとばかりに、にやりと満足げに笑ったのだった。

■筆者プロフィール:北岡 裕

1976年生まれ、現在東京在住。韓国留学後、2004、10、13、15、16年と訪朝。一般財団法人霞山会HPと広報誌「Think Asia」、週刊誌週刊金曜日、SPA!などにコラムを多数執筆。朝鮮総連の機関紙「朝鮮新報」でコラム「Strangers in Pyongyang」を連載。異例の日本人の連載は在日朝鮮人社会でも笑いと話題を呼ぶ。一般社団法人「内外情勢調査会」での講演や大学での特別講師、トークライブの経験も。過去5回の訪朝経験と北朝鮮音楽への関心を軸に、現地の人との会話や笑えるエピソードを中心に今までとは違う北朝鮮像を伝えることに日々奮闘している。著書に「新聞・テレビが伝えなかった北朝鮮」(角川書店・共著)。

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※本コラムは筆者の個人的見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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